人生の後半戦

誕生日を迎えた朝、目が覚めて最初に思ったのは、「私はもう『お姉さんに近いオバサン』ではなく、『おばあさんに近いオバサン』なのだな…ということだ。

年上の女友達に言ったら、ぶっ飛ばされそうだ。
言い訳するわけではないが、彼女たちを見てそんなことを思ったことは、ただの一度もない。

今の若い人たちには、ちょっと分かり難いかもしれないが、子ども時代は女子大生ブーム、中学時代はおニャン子クラブ全盛期を通り過ぎた私。
その当時を知っている人から見れば、理解しやすいと思うが、もう学校卒業して、OLになったらオバサンみたいな空気がその当時のメディアには流れていたのだ。
もちろん、一般の人はそういうのはネタとして、「もう20歳過ぎたら、オバサンよ〜」みたいな感じで、実際にその人達が悲壮感を漂わせていたか‥というとそんなことはないのだけれど。

今こそ、専業主婦もワーキングマザーもみんなキレイで若いけれど、当時はそんなことなくて、子ども産んだら、「ハイ、舞台から降りてくださいね…」という感じだったし、ご本人たちも、「はいはい、お先に引退しまーす」なんて感じだった。
30歳過ぎのお母さんたちは、オバサンパーマとスーパーで買ったジーンズを何年も履いているとか、子どもの着古したトレーナーとかジャンパー着たりとか、そんなの普通だったのだ。

私は20歳で母親になったのだが、その当時だと、もう20歳だろうがなんだろうが、子ども産んだらジャンルとしては「オバサン」な感じだった。
まぁ、私は専業主婦じゃなくて、派遣社員でシングルマザーやっていたから、それなりにスーツ着たり、化粧したり身なりに構わざるえなかったので、ソコソコにはちゃんとしていた(‥つもり‥だけど)

当時預けていた保育園とかで考えると、子どもがいてフルタイムで仕事をしている女性は、公務員もしくはお医者さん、薬剤師さん、栄養士さん、看護婦さん、保育園の先生‥という感じで、まぁ若い頃から一生仕事をしていく気持ちがあって、資格取得してその仕事に就いたという人ばかりだった。
民間でフルタイムワーキングマザーって、今は普通だけれど、当時は珍しかったのだ。
とにかく働いているお母さんが今よりずっと少なかったので、ちゃんとした格好でウロウロしなくちゃいけないお母さんも少なかった。
あと、UNIQLOとか安価でシンプルな服とか売ってなかったしね。当時は。

まぁ、そんな時代を通り過ぎているわけだから、正直、『お姉さん』な時期というのは、私にとってものすごく短い期間だった感じなのだが、とにかく今の女性はいつまでたってもキレイを保持しているので、年齢=オバサンという図式が成り立たず、年齢に関係なく、その個人次第でオバサンになったり、いつまでたってもお姉さんだったりするんだな‥と思っている。

でもでも、46歳というのは、いくらなんでも「お姉さん」に近いというのは、私の感覚的にはありえないわけで、そしていきなり、『おばあさんに近いオバサン』であることをひしひしと感じたのが、46歳の誕生日の朝だったというわけ。

で、話がなんだか飛ぶけれど、一昨年ぐらいからちょくちょく山に行きだしたせいか、ふと思ったのは、これまで登ってきたのを今度は下るのか‥ということ。
人生のピークとか、折り返し点とかよく言うし、私も35歳ぐらいで折り返しかな?と思っていたけれど、それは今考えると単なる字面で考えていただけで、実感なんて全然なかったことが今ならわかる。

私は46歳の誕生日を迎えてから、はっきり下り坂を降りている実感がある。

‥が、若い頃思っていたのとは、どうもこの実感が違うのだ。

折り返し地点というのは、若い頃は「ピーク」いわば、人生の最高期で、そこが幸せの頂点。
その人の人生のピークというのがいつくるかは人によってわからないが、どこかで必ずやってきて、それは通り過ぎて(折り返して?)初めて気づくものだ…と思っていた。
多分、どこかの本の受け売りなんだと思う。

とにかく、ピークを過ぎるとそれ以上幸せにはなれないので、やっぱりちょっと暗くて悲しくて寂しいイメージが何となくあった。

私の人生の置いて、ピークだったな…あれが…というのは、特に思い当たらないので、ピークと人生の折り返し地点はイコールである‥というものでもないらしい気がする。

まぁ、ピークはともかく折り返した実感はある。

ところが、下り坂は山登りと同じく結構楽しいのだ。
山の下りは、登りよりも実は結構難しいし、普段使わない筋肉を使うので肉体的には大変なのだが、気分的にはやっぱり楽だ。
登るのは荷物の重さも一々気になるし、もうこれムリじゃない?引き返したほうがいいんじゃない?…としょっちゅう考える。
下りるのはそれに比較すると、怪我さえしないように気をつければ、わりとリラックスして降りていけるし、何よりもう登らなくていいんだな‥というのが嬉しい。(自分で好き好んで登っているんだけれど、やっぱり帰りは必ずそう思う)
なぜかわからないが、登りはクマとかスズメバチにあったらやだなと考えるのに、下りは全く考えたことがない。
途中の景色を見る余裕もあるし、自分が登ってきた道を改めて見るのも楽しい。

人生の折り返し地点を曲がって、下りに入った自分の毎日もこんな感じで、ものすごく気楽で周りを見る余裕があって、一歩一歩が楽しめる感じだ。
何より、どんどん手放していい感じが気持ちいい。
なんというか、気分も身体も軽いのだ。

へー、そうなんだ。折り返したら、悲しかったり寂しかったりじゃなくて、楽しいんだな…というのがわかってきた。

多分、人生の前半って準備や計画、段取りがやたらに要求されるし、自分もそれが非常に重要であると思い込んでいたのだ。
ある程度自分にも他人にも厳しくなりがち。若い頃は欲も多いから色々と多忙だしね。

人生の前半は「なるようにしかならない…」と割り切れないのだが、後半に入ると「ま、縁があればね‥」ぐらいに突然入り、ある程度達観できるようになった。

まぁ、どれだけ準備しても計画しても時間は有限だから、ムリなことがある‥というのが、自身の体験からも周囲を見回してもわかってきたし、受け入れられるようになってきたのだと思う。

自分のキャパみたいなのも見えてきて、自分の持てる量を考えるとそんなにたくさん荷物を持ち歩くのは無理だな‥というのも自分なりに認められるようになってきて、昔は小さなスペースに工夫して色んなパッキング法を試して色々と持っていこうと思っていたのが、「あ、私にゃ無理無理」とあっさり諦められるようになった。

別に何か衝撃的なことがあって、ものの見方が変わったんじゃなくて、単純に年齢を重ねたらものの見方が変わったというのが、個人的には面白くて、「へー、こんな風になるんだー」思いながら、自分の観察をしている今日このごろだ。
ということで、おばあさんに近いオバサン生活も結構楽しいよ‥というオチ(?)

ところで、私の人生のどこかにピークがあったのかな?
見落としたのか、あまりに小さなピークだったのか…。
全部降りきったら、わかるのかしら???
ま、これからピークが来るんだな‥と思っている方が楽しいかも。

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