いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学




 まず最初に伝えておきます。この本はあなたの時間管理(Time Management)のスキルを上げるHow to本ではありません。その手の本をお探しの方にはこの本は的外れだと思います。
さらに、この本は決して読み易いタイプの本ではありません。冗長な部分が多く、難解ではありませんが、堅苦しいと思われる記述があちこちで見られます。

それでも、このようなある種の読み難さを越えても読む価値のある本だと私は思います。

この本は、時間やお金の「欠乏」が私たちにどのような影響をあたえるかというのを様々な研究に基づいて詳細に記した本です。
「欠乏」は思考を狭め、理想的な行動から私たちを遠ざけ、その結果、抜け出せない場所に私たちを連れ込むことがしばしばあります。
このことが深く理解できると、自身を改善できるだけでなく、欠乏の中に置かれている人々を欠乏から引き離すためにどのような施策なら有効なのか?ということろまで考えることができるようになります。

こんな風に文章で読むと、そのことがどうしてそう大きなことなのか実感できないと思いますが、この本を読み終えると世界の見方や、自分や他人への見方が変わってきます。
私はそれがすごく重要だと個人的には思っています。
本を読む前と後とで、物事の見方が変わるというのが、本当の意味での読書だと思うのです。

前置きが長くなりましたが、そんなすごい本の一端でも感じていただければ…と、早速、私の感じたことを書いていきます。

さて、こんな風に書き始めると「欠乏」はとにかく「悪」と捉えられかねませんが、私たちも知っている通り、欠乏には良い面があります。
例えば、お金の余裕があれば私たちは、あまり物事をよく考えず、お金を散財しがちです。買ってみた後に、支払ってみた後に、なんでこんなこと(モノ)に高いお金を払ったのだろう?としばしば考えることはよくあることです。
また、お金に余裕があると、そもそも計画を立ててお金を貯めたりすることも怠りがちになります。

これはお金だけではなく、時間の使い方にも当てはまることです。締め切りに余裕があると、やるべきタスクに手を着けるのが遅くなったり、本来試験勉強をやるべきところをネットサーフィンやTVに時間を費やしてしてしまったり、などは誰にでも経験あるところでしょう。

しかし、お金にしても時間にしても、不足を感じれば私たちはそれらの使い方に慎重になります。

仕事でも楽しみでも、実はリソースがあまりないときのほうが得るものは大きく、この本の中でもそれは「集中ボーナス」と呼ばれています。
つまり欠乏によって、1つの物事に集中することが可能になります。1つのことで心が占拠がされることによって、プラスの効果が発揮されるということです。

欠乏が心を占拠すると、人は持っているものをいちばん効果的に使うことに集中することができる。これが欠乏のメリットなのです。

さて、この「占拠」という言葉が重要なキーワードです。占拠とは本人の力のおよばないところで起こるものであり、本人の意志で避けることはできません。

1つのことに集中するということは、ほかのことを放っておくということでもあります。ネットやテレビ番組に夢中になりすぎて(=思考を占拠され)、パートナーや子どもからの質問に気づかず、不機嫌にさせててしましまったことなどは比較的よくあることでしょう。

目先の欠乏に対処することだけに、ひたすら集中してしまうため、他のことが見えなくなってしまいます。このことを本の中では「トンネリング」という言葉を使って説明しています。
「トンネリング」とはトンネル視を連想させることを意図した表現で、トンネル視とは、トンネルの内側のものは鮮明に見えるが、トンネルに入らない周辺のものは何も見えなくなる視野狭窄のことです。

つまり欠乏は「集中」を産むと言う代わりに、欠乏は「トンネリング」を引き起こすと言うこともできるのです。

集中するのは大いに結構…と思わなくもないのですが、ややこしいのは、人は費用対効果を検討してトンネリングをするかどうかを決めるわけではない、ということです。欠乏は人の心を無意識のうちに占拠してしまうたということは、つまりトンネリングは、自分から起こすことはできないということでもあり、集中したほうがいいからトンネリングをするということではなくて、良くない場合でもいい場合でも、「欠乏」があれば、勝手にトンネリングしてしまうということが様々な問題を引き起こすのです。

そしてその問題がこの本の中にはたくさんの事例をもとに説明されます。

少し注目すべき部分を変えてみましょう。
「貧困は自己責任か?」という問題は、日本国内でここ数年いろいろな形で議論されています。
 この本の中でも貧困問題は大きく取り上げられています。ただし、この本のなかの大きな話は、なぜ貧困から抜け出すのがそれほど難しいのか?という点です。生活保護を始めとする国や民間団体が様々な支援策を行ってもうまくいかないのは、貧困者が救済プログラムに甘えているから…という論調の意見はとても多いですが、実はそこには欠乏の罠が仕掛けられているので、抜け出せない‥という見方もあるようです。

貧困というのは、お金が欠乏している状態です。人々は欠乏を感じると処理能力がとても落ちます。このことについては、たくさんの事例がこの本に取り上げられていますので、興味ある方はぜひ本を。

1つの事例としては、農民たちが農作物の収穫前(貧困ではない)と収穫後(貧困である)の状態で、明らかに処理能力(認知能力や実行制御力)が異なるという事例です。

このような事例から、考えると貧困状態でずっといるということは、毎日お金のことばかりを考えるトンネリング状態なわけですから、例えば生活保護を申請し、様々な貧困プログラムに参加すればある程度の生活が営めるのだとしても、手続きそのものが煩雑であれば、その手続を行うことは非常に貧困者には困難であるということが見えてきます。
そうなると、煩雑な手続きなく、すぐに貸してくれる高金利の業者から借りてきてしまうというのもよくわかります。

”サンドラは今日お金が不足していて、来月もお金が不足すると予想される。ずっと忙しい人は今週も来週も忙しい。欠乏を経験する人は、いま経験するだけでなく、たいていあとでも経験する。それでも、人は差し迫った欠乏にトンネリングを起こす。来月空腹になると知ることは、今日空腹であることと同じようには、人の注意を引きつけない。いま支払わなくてはならない請求書は脅迫的な督促につながるが、期限が二ヶ月ある請求書は目に入らない。たとえ明日の欠乏について慎重に考えたとしても、現実にはぼんやり「知っている」だけのことだ。それを感じることはなく、そのため同じように心を占拠されることはない。なぜそうなるかと言うと、ひとつには処理能力への負荷のせいだ。現在は自動的に人にプレッシャーをかける。将来はそうではない。将来に気を配るためには処理能力が必要であり、それには欠乏が負荷をかける。欠乏によって処理能力に負荷がかけられると、人はいっそう、いまこの場に集中する。将来のニーズを推し測るには認知資源が必要であり、現在の誘惑に抵抗するには実行制御力が求められる。欠乏が処理能力に負荷をかけるため、人は現在に集中してしまい、借りを作ることになる。”

一方で、プログラムや制度を考える人々は貧困者ではなく、通常の処理能力を持っています。そのため、「普通に考えたらこうするはず」「貧困から抜け出す気持ちが本当にあるなら、最善の選択をするはずだ」と考えてしまいがちです。

しかしプログラムを受ける相手は、日々の貧困のことでアタマを占拠され、常に滞っている支払いのことや増え続ける借金のことでアタマがいっぱいであり、場合によっては貧困から発生する病気や人間関係の悪化などもあり、全うな処理能力や計画を立てる余力がもう残っていないことから、本人の意志に関係なくプログラムや成果をうまく活用できないことがあるということです。

少しこの本から話がずれますが、一般に「仕事は仕事、プライベートはプライベート」とプライベートでのショッキングな出来事やアクシデントなどを仕事に持ち込むのは、一般に日本のビジネス社会ではあまり褒められたことではありません。

しかし、プライベートのことで心が占拠され仕事に手が付かないということは、この本に出てくる認知資源や処理能力の話から考えても往々にしてあることです。

私も若い頃は、仕事とプライベートはきっちり区別してこそプロであると思っていましたし、プレイヤーとしての自分はそうでありたいと今でも思っています。

しかし、マネジメントの立場として人に関わる時は、人の認知資源には限りがあるし、様々なことに忙殺されたり、占拠されたりすれば、ミスも増えるし判断も誤りがちになるというのは、長く働いてきてよくわかるようになりました。これはプレイヤーとしてその人が優秀でも優秀でなくても変わりがないようです。どちらにしても、通常のパフォーマンスと同様の結果を発揮するのは難しいようです。

そのため、プライベートで大きな出来事、これは近親者の死や健康状態の問題といったネガティブなことだけでなく、結婚や妊娠といった明るいライフイベントであっても、マネジメントの立場であれば、通常以上にその人のパフォーマンスや進捗を細かく気にかけ、出来る限りバックアップが用意できるよう準備しておく必要があると考えています。

このバックアップや余裕、余地の部分を、「スラック」といい、この本の中でもたくさんのスラックの話が出てきます。

日本でも「セーフティネットが機能していない」という議論がよく貧困問題で取り上げられます。以前は、近隣とのつながり、親戚づきあいなど公共制度以外のセーフティネットがありましたが、時代の変化に伴い人間関係をベースにしたこれらのセーフティネットが機能しなくなり、すべてが公共頼みになってくると、そのように設計されてこなかった公共のリソースが耐えきれず、結果としてセーフティネットとして十分に機能できなくなってきました。

セーフティネットが機能しない場合、突然の怪我や病気、失業などであっという間に貧困に転落しがちで、一度貧困に陥ってしまうと、これまで見てきたように様々な資源不足とトンネリングから、まっとうな判断力を奪われ、抜け出すことはそう簡単なことではありません。

このようなことが起きないようにあらかじめ、スラックを用意しておくことが重要であり、本の中にはスラックがあることによるメリット、ないことにより生じがちなことの例がわかりやすく説明されていますので、ぜひご興味ある方は読んでてみてください。

”あなたには以前すばらしいアシスタントがいた。どんなときも、あなたが必要とする仕事を急な頼みでも喜んでうまくやってくれていた。ところが、経営コンサルタントがあなたのアシスタントには自由時間がたくさんあることを発見した。そして部門が再編され、そのアシスタントはあなた以外の二人にもつくことになった。会社の時間利用法のデータによると、このほうがはるかに効率的だという。アシスタントのスケジュールはあなたのスケジュールと同じくらいびっしりだ。しかしこれでは、あなたが土壇場で急に頼む仕事に、すぐには対応してもらえない。つまり、あなたの過密なスケジュールでは、ほんのわずかでもショックがあれば遅れをとることになる。そして遅れをとるとジャグリングを始めて、さらにどんんどん遅れることになる。アシスタントは重要なスラック源だったのだ。通常の予定がびっしり埋まっているとき、急な案件にはアシスタントが対処できた。アシスタントは「十分活用されていない」からこそ、セント・ジョンズの例の空き部屋と同様、貴重な存在だったのだ。”

人がスラックをつくらないのは、いまやらなくてはならないことに集中し、将来起こりうるあらゆることを十分に考えないからだ。いま現在ははっきりと間近に迫っているが、将来の不測の事態は緊急度が低く、想像するのが難しい。漠然とした将来を目の前にある現在と突きあわせると、スラックはぜいたくに感じられる。結局のところ、そんなものを取っておけるほど、自分は十分に持っているとは思っていない。あなはたどうすべきか?やりたいことがたくさんあって、そのための時間が足りないにもかかわらず、万が一予想外のことが起こった場合に備えて、たとえば月曜と水曜の午後三時から四時までのスケジュールを空けておくべきなのか?実際のところ、そうするべきだ。それは車で三〇分のところに行くのに四〇分前に出発したり、万一の場合に備えて毎月の家計からいくらかを備えたりするのと同じだ。欠乏に直面したとき、スラックは必要不可欠である。それなのに、人はたいていそのための計画を怠る。もちろんその理由はもっぱら、欠乏のせいで計画するのが難しくなることにある。

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