ヒルビリー・エレジー

「ヒルビリー・エレジー」は、「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(厳しい肉体労働で首筋が赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)というような低下層の白人の人々の暮らしがよくわかる本だ。

なぜ、大統領選挙でトランプが勝利を得たのか?
勝因のひとつとして、アメリカの貧困は、黒人や移民だけものものではなくアメリカ国民としてアメリカを愛する貧しい白人たちが多く、その人々の票がトランプに流れたということがよく揚げられている。

そのような白人の人々は日々どんな生活を送り、どんなことを考えているのかということを、著者の実体験をもとにとてもわかり易く書かれているある種のメモワールがこの本だ。

著者はヒルビリーの出身で、家族も典型的なヒルビリーである。
彼はその地域の中でも貧しく厳しい家庭環境で育ち、両親は物心ついたときから離婚。
看護師の母親は、新しい恋人を家に引っ張り込んでは分かれ、その度に鬱やラッグ依存を繰り返す。そして問題が起こると息子の罪悪感や泣き落としに訴えかける。
母親が口にする謝罪の言葉は全くあてにならないものだった。
しかし色々な縁と本人の努力があって、海兵隊入隊→オハイオ州立大学→イエール大学ロースクールを卒業をし、ビジネスマンとして成功したという異色の経歴の持ち主。
この本を書いた時点では、ビジネスマンで作家ではなかったようだ。

著者の育成歴や育った環境の話はとても興味深く、また登場人物である家族も魅力に富んでおり、グイグイと引き込まれて最後まで読むことができるので、興味のある方はぜひ読んでほしい。

私がこの本を読んで、背筋がすーっと寒くなったのは、日本の貧しい暮らしのほうがずっと恐ろしいだろうと、ふと気づいたときだ。

「ヒルビリー・エレジー」の登場人物たちには、強い家族の絆と信仰がある。教会やボランティアというセーフティネットが身近にある。

日本のにはこのような繋がりが事実上なくなりつつあるのではないだろうか?

ネットで発言小町などを読んでいると、婚約者に独身の兄弟がいる、障害者の姉妹がいる、親に借金がある、そうなると将来的にこれを引き受けなくてはならないかもしれない。相手のことは好きだけれど、どうするべきか?というような相談がよく寄せられている。
それに対する回答の大半は、そういう相手は将来のリスクが高すぎるからやめておけという話だ。
自分の子どもまで巻き込まれることになりかねないから、やめたほうがいいという意見も多い。

近所に少しおかしな様子の家がある。なるべくかまわないほうがいい。何をされるかわからないという意見も多い。

ネットにかぎらず、そういうムードはあちこちで身近に感じられる。
少しでもリスクになりそうな人には近寄らない。関係を持たない。
リスクを抱えた人に頼られても面倒みきれないでしょう‥。今はソコソコ何とかなっているの自分たちの暮らしも、老後の明るいニュースは少ないし、政府もどうやら頼りになりそうにない、決してゆとりがあるとは感じられないし、だからこそ人の面倒を見るよりも、自分の幸せをまず第一に考えろ…というのが、今の強い流れのような気がする。

こうなると困った立場にいる人を助ける人は全く現れない。
むしろリスクのある人が近くにいると積極的に避ける。
それが家族にまで及んできているような気がする。
縁を切る。疎遠にするという言葉は、かなり近い関係の親族にも使われる言葉になりつつある。

政府や行政は困った立場を人々を救う努力をし、そういったことにこそ税金を使うべきだと思う人が多いけれど、それは家族にリスクを追わせず、自分の身近ではなく見えないところでやってほしいということでもあるだろう。

保育園を近くに作ってほしくない…というのも同じような話かもしれない。
子どもはたくさん産んで育ててほしい。少子化社会は経済的発展を大きく阻害する。子どもを産まない、結婚しないなどというのは大人としての責任を果たしていない・・・と声高に言う人が、保育園を近くに作られるとうるさくて困る…という意見を持っていることは決して少なくないと思う。

他人も身近な親戚も不幸になるのはイヤだが、自分がそれを助けたりその分何かを我慢をすることはしたくない。

日本人はもしかすると無関係の人には親切だが、近くにいる人にほど冷淡なのかもしれない。
自分の中にも確かにそういうところがあるような気がする。
近いところにいる相手だと、相手の生活や性格がよく見えるため、努力不足だとついつい思ってしまうのだ。
いや、そうではなくて積極的に関わりたくないために、自業自得だ、自己責任だと断じてしまいたいのかもしれない。

そこには何かしらの温かいものがないのだ。ようするに。
この本を読むとそのことに気づいてしまう。
「ヒルビリー・エレジー」の中には、家族の絆や隣人への感心といった「温かいもの」と「救い」のようなものがある。

アメリカの貧困は、今の日本に比較すると格段にひどいと言えるだろう。
少なくとも親がドラッグにハマっていて、なんていうのは人様に自慢できるような生活環境で育っていない下町出身の私の周りでも見聞きしたことはない。
子ども自身が勝手にドラッグやシンナーにはまるのは見たことがあっても、歯医者にいけないため、甘いものばかり食べるため、ほとんど歯がないなんていう大人や子どもも見たことがない。
それなりの衣食住と健康は保障されていた。

ただ一方で、経済的に恵まれない上に、さらに温かいものがない家庭環境、自分の成長に関心を持ってくれない家族の中で、きちんと社会的成功の階段を登ったという人にも逢ったことがない。
私の周囲だとこういう家庭で育った知人のほとんどは、風俗系や水商売の仕事につくことが多かった。
近所にそういう盛り場があり、仕事がてっとり早く見つかり、金にもなる。親も子どもが何をしているのか、特に気に留めない。
子ども自身も親より同じような環境で育った先輩や友人との絆を深く感じ、その人達の仕事場が盛り場の仕事なら、そうなるのが一番自然な大人になる姿のように感じられるのかもしれない。

経済的には恵まれなかったが、親が子育てに熱心だったり、質素ではあるが、衣食住を適切に整えてもらった子どもたちは、色々だ。
社会的成功とも言えることを果たした人もいれば、同じように質素ではあるけれど、健全で温かい家庭を築いている人もいる。
そのような人々に共通するのは、健全な自己肯定感を持っているということではないかと思う。

現代のアメリカに何が起きているのか?という観点で読んでも面白いし、著者のサクセスストーリーとして読むのも楽しめる、様々な角度から考えさせられたり、感じたりすることのできる本だと思う。

ずっと頭のなかにあった疑問だ。祖母の答えはわかっていたが、確認して安心したかった。
「ばあちゃん、神さまは本当にぼくたちことを愛しているの?」
 祖母は頭をたれて、私を抱きしめ、泣きだした。 (J.D.ヴァンス著 「ヒルビリー・エレジー」 P142)

祖母は、アパラチアの貧しさから逃げ出したと思ったのに、貧困はやはり追いかけてきた。経済的貧困からは抜け出せたとしても、感情的な貧困はいつまでもつきまとう。どういうわけか、祖母のいまの暮らしは、祖母がそこから逃げ出した昔の暮らしと似かよったものになっている。 (J.D.ヴァンス著 「ヒルビリー・エレジー」 P227)

しかしじつは、ミドルタウンの住民がオバマを受け入れいない理由は、肌の色とはまったく関係がない。
 私の高校時代の同級生には、アイビー・リーグの大学に進学した者がひとりもいないことを思い出してほしい。
(中略)
 私が大人になるまでに尊敬してきた人たちと、オバマのあいだには、共通点がまったくない。
(中略)
もちろんオバマの人生にも、私たちと同じような逆境は存在し、それをみずから乗り越えてきたのだろう。しかしそれは、わたしたちが彼を知るはるか前の話だ。
 オバマ大統領が現れたのは、私が育った地域の住民の多くが、アメリカの能力主義は自分たちのためにあるのではないと思い始めたころだった。自分たちの生活がうまくいっていないことには誰もが気づいていた。死因が伏せられた十代の若者の死亡記事が、連日、新聞に掲載され(要するに薬物の過剰摂取が原因だった)、自分の娘は、無一文の怠け者と無駄に時間を過ごしている。バラク・オバマは、ミドルタウンの住民の心の奥底にある不安を刺激した。オバマはよい父親だが、私たちはちがう。オバマはスーツを着て仕事をするが、私たちが着るのはオーバーオールだ(それも、運よく仕事にありつけたとしての話だ)。オバマの妻は、子どもたちに与えてはいけない食べものについて、注意を呼びかける。彼女の主張はまちがっていない。正しいと知っているからなおのこと、私たちは彼女をきらうのだ。
(J.D.ヴァンス著 「ヒルビリー・エレジー」 P300 )

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