「庭とエスキース」&「弁造さんのエスキース展」

少し前までは、「この本読みたい!」と思ったら、その場でAmazonに発注もしくは図書館に予約を入れるというのが多かった。
ここしばらくは、仕事で必要な急ぎの本以外は、本屋さんで出会えるまで待つことが多くなった。

「庭とエスキース」もそんな一冊。
みすず書房のニュースレターパブリッシャーズ・レビューか、はたまたその両方でこの本を知ったのではないかと思う。
良さそうな本だなぁとは、直感的に感じたが3000円超えということもあって、しばらく保留にしていたところ、神保町の東京堂書店で対面。

「運命だわ」と小声でつぶやき、購入した。

毎朝、少しずつゆっくりゆっくりページをめくって読み進めた本。
写真も文章もとてもいい、そして何よりも弁造さんの人間的魅力がすごい。
北海道で自給自足の生活をおくる弁造さんと写真家である著者との交流は、あっさりでもベタベタでもなく、ここに収められた写真と同様に色んなことが許されて受け入れられているように見える。

弁造さんの書き溜めたエスキースの個展は、荻窪のTitleという書店の2階で開かれた。
最終日の前日に、なんとか時間を見つけ出して訪ねたそのお店は、とっても懐かしい感じの町の本屋さんでもあり、その一方でこだわりの本のラインナップがあり、奥にはカフェがあった。

急な階段を昇るとそこでは個展が開かれていた。
一つだけ完成している作品があり、そこには大きく「弁」というサインが入っていた母子像。
あとは、いずれも未完成の作品だった。
そういえばこの個展の副題は、「今日も完成しない絵を描いて」だ。

「エスキース」ってそもそもなんだろう?と本を読んだ時に調べたが、下絵や素案のことを指す言葉らしい。
クロッキー、デッサン、スケッチ、ドローイングと似たような言葉はたくさんあるけれど、このあたりも、それぞれ違うようだというのをその時初めて知ったが、どう違ったかはもう忘れてしまった。

弁造さんのエスキースに話を戻すと、印象に残ったのは正面窓の上に掛けられていた母子像。娘がお母さんの頬にキスをしている作品だ。
それから、後ろ姿の裸婦像もよかった。
どちらの作品も柔らかくて、懐かしい気持ちを抱かせる色使いだった。
この懐かしいという気持ちはどこから来るのだろうか?としばし考えたけれど、うまく思い出せなかった。小さい頃いた場所、もしくはよく訪ねた場所にこういった色使いの何かがあったような気がする。

本を読むと、描く対象は女性がほとんどだったようだが、亡くなる前に描いた「犬と少年」のエスキースもすごくよかった。
これはヨーグルトの包装紙に鉛筆で描かれたものだ。

とても小さなその個展を見終えて、一階の小さな書店の棚を一つ一つ眺める。
そして、読みたかった本をやはり発見してしまい、購入。
3冊目のミチコ・カクタニの本は、つい先日の毎日新聞書評欄で池澤夏樹が取り上げていた本だ。
これは読もうかどうか迷ったというよりも、そもそもこの本一般書店でどのぐらい取り上げられるのかなぁ?と思いながら書評を読んでいた。
それがここにあるとは…と、またもや「運命」を感じて購入してしまった。

サイズがバラバラの3冊にとても可愛いカバーをかけてもらい、ひどく嬉しくなる。
自宅の近くにこんな書店があったらいいのになぁ‥と思う。

【関連リンク】

「庭とエスキース」:みすず書房によるこの本の紹介ページ。映画監督 小栗康平氏のこの本への言葉も紹介されています。

『庭とエスキース』外伝(奥山淳志):著者である奥山淳志さんのこの本のエッセイ

Atsushi Okuyama Photography:著者である奥山淳志さんのサイト。こちらから弁造さんが自給自足して暮らした庭の写真や描きためたエスキースを観ることができます。

Title:今回個展の行われた荻窪の本屋さんのWebサイト。サイトデザインも温かい感じで、お店の雰囲気ととてもマッチしています。

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