第8回読書会(サードプレイス)開催報告 「「心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―」編

2020年10月3日(土)に第8回のサードプレイス読書会を開催しました。この回で取り上げたのは、「心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―」斎藤環氏と與那覇潤氏の対談の本です。
斎藤環さんは引きこもりの治療などでも知られる有名な精神科医、一方の與那覇潤さんは新進気鋭の若手歴史学者とし私も存じ上げておりましたが、この本で重度のうつ病で大学を退職をされていたことを初めて知りました。

今回の課題本は、なんとなく表紙も入りやすい雰囲気で、目次を眺めても興味・関心がそそられるトピックが多く、対談ベースだし、語り口もやさしいのですが、読み始めるとものすごく奥が深く、ほとんどの方が「面白かったけれど、難しかった」と感想を述べられた本でした。

今回は珍しく私も事前に読んでいなかった本を取り上げにことに決めてしまい、開催告知後に読み始めました。
読みながら「これ、結構大変かも…」と冷汗をかきました。

事前には、今回の進行役をつとめてくれたTomokoさんが、全体像を時系列に俯瞰する年表を作成し、出席者の皆さんに配布され、私自身はこれを見てなんとなく全体の見取り図が頭にできた感じでした。

読書会で話題となった各章

下記の目次をお読みいただくとわかるのですが、かなりトピックが分かれており、全部のトピックについて皆で話しをすることはできませんでした。


以下はトピックで上がった代表的な章とそのご意見についてまとめています。
なお、当日は人数の関係でzoomのブレイクアウト機能を使って、2つのグループに分けての意見交換となりました。

第1章 友達っていないといけないの?ーヤンキー論争その後

与那覇:例えば病気の前に大学の教員として多数の本を書いていると、自分としては「それなのに今は会話もできないんだ。みじめだね」と馬鹿にされるのかな、と身構えてしまう。でもこれって完全にインテリの思い込みなんですよ。ヤンキーの人がぼくの職歴を知ったところで、「へー、そうなんだ」で終わりです。
こちらが「病気のせいで、あれもこれも失ってしまった」と落ち込んでいるときに、「そんなこと、別にいいじゃん!いま、ここで出会ったんだからさ、一緒に頑張ってこうよ」というノリで過去は一切問わず、無条件で仲間として扱ってくれる。そこにすごく癒されたんですね

うつ病となり病院に入院した与那覇さんは、そこで知り合ったヤンキーたちとの間に共感がうまれ、自分が優秀な学者だからではなく条件なしの友情的なものをヤンキーとの間に感じたという話が続きます。

読書会で「ヤンキー」ってそもそもなんだろう?という話が出てきました。

この章には最初の方に以下のようなヤンキーの定義なものが出てきます。

”ヤンキーとは歴史感覚を持たず、「永遠の現在」を生きている人たちだ”

更に会の中では、「共同体の外に出るのを諦めたからヤンキーの中にいられるのでは?」
「 そもそもヤンキーな人たちは外に出たいのか?出る必要がない人もいる、今がよければいい、諦めるという概念がなくなれば幸せ。諦めなきゃいけないものを欲しなければ幸せ。過去と未来を考えない、今のことだけ というのは幸せなのかも」という意見も出されました。

この話のあたりで出てくるのが、共感の図です。

「コールセンターの仕事では、会社側に問題のないクレームの場合、掛けてきたお客様の気持ちはわかるが同意はできないということが多く、でも、否定しない、いわば共感の道を探るケースになる。自分の意見は我慢しつつ相手の言い分を聞く、でも同意しないというのはやってみると非常にエネルギーがいる仕事だった」という、ご自身の職業体験のシェアを起点として話が深まりました。

「同意」「反発」「無関心」の三角形はわかるが、どうしてその真中に「共感」位置するのかよくわからない、という意見から、同意、無関心、反発は簡単だけれど共感は難しいといった意見も。

ここの「共感」という言葉が難しいのですが、「心から相手の心情に寄り添う」というよりも、相手の言うことを否定しない、排除しないぐらいのイメージでこの言葉使われているのでは‥という話になりました。

この本のややこしさの1つに、対談なので話の流れでなんとなく言葉の定義みたいなものが動いていったり、対談されているお二人には暗黙の共通前提や知識があるように思えるのですが、そこが読者に共有されずに進んでいくことがあるんじゃないかと。

対談本ってそういうのあるかもしれませんね。知らない読者に対して、一人の作者が語りかけているのとちょっと違いますし‥。

第3章 お金で買えないってものってあるの? ーSNSと承認ビジネス

このあたりは、まさに今のSNS時代の話題だなぁという感じです。

私自身は読んだときに、お金を払ってオンラインサロンに参加しているのに、なぜ参加者は承認されているとか、有名人の主宰者と近いと思えるのかなぁ‥と不思議に思ったのですが、参加したことある方のお話によれば、そこで何かちょっとした仕事を頼まれたりすると、自分の主宰者の仲間のように感じられたりする‥(それってお金払って、仕事させてもらっているのでは…とも思いますが)というような空気もあるそうで、なるほどー‥と思いました。

それとこの章に出てくる「承認」という言葉は、おそらく他人からの承認と自分が自分を承認するの2つを指しているので、わかりにくい気がします。
オンラインサロンについても、何か仕事をさせてもらえれば主宰者からの承認が感じられるという(他者からの承認)と、お金を払うことで、払わない人には見えないより価値のある(?)高度な情報にアクセスできれば、自分自身に優越感を持て、自分が自分を承認するということなのかもしれません。

現在は、自分たちが若い頃と違って、友達がいないと駄目、ボッチは嫌‥というのが強そうに感じる。そのために自分自身としては特に好きじゃないけれど、友人と共通項を作るために、同じような芸能人なんかを応援したり、話題合わせたり‥というのが多そう‥というご意見も。

このあたりは私が若い頃にもそういうことを気にする人は結構いたと思いますが、今はフォロワー数なんかも自分が世間から承認されているどうかが、自分からも自分の外から見えるバロメーターになるからますますキツイのかもしれません。

第4章 夢をあきらめたら負け組なの? ー自己啓発本にだまされない

どちらのブレイクアウトルームでも最も盛り上がったのながこちらです。「あきらめ」の話。
この章では、現代は「適度なあきらめ」ができないという話で進んでいきます。

斎藤:長くひきこもった人ほど社会復帰へのハードルを上げてしまい、「完璧な大人になってからじゃないと、バカにされるから外には出られない」と思いがちですが、それだとかえって社会復帰できない。むしろ、「そりゃ、俺にはダメな部分があるんだろう。でも別にいいじゃん」くらいの、自己肯定感をともなう適切なレベルのあきらめが回復には必要なんです。

引きこもりの人に限らず、現代の社会では「思い描いた目標に対して、努力すれば何でもできる!夢を諦めるな!」というものと、その反対に「自分はこの程度の人間だ」というものの間に「適度なあきらめ」というものが存在するということになるのでしょうが、じゃぁ、それはどうやったらできるようになるのか?という解説はこの本にはありません、

しかし、今の社会ではそういった「適度なあきらめ」がなぜ難しいのかという考察はあって、読み手はそこをヒントに考えを深めることができそうです。

こういった中で「あきらめ」というのがそもそも語感が悪いよね・・という話には皆さん大いに納得。「手放す」とかだと、確かに随分イメージが変わりますよね。

私のいたブレイクアウトルームは、社会経験が豊富なメンバーだったこともあり、努力して高い目標を達成した経験もお持ちのため、「あきらめなければ実現する」というのも納得。でも、確かに「夢は必ず叶う」とは若い人に言い切れないものがある・・と。

こういったコロナ禍において、諦めざるえないことが外側から強制された面もあり、それをきっかけに諦めること(手放すこと)がやりやすくなった、また今までの日常が変わったことで自分の中の優先順位も変わり、気がついたら以前は優先順位が高かったものが、優先順位が下がりあきらめたつもりはないけれど、しがみつく・・というものではなくなった・・などと、こういった環境だからこその意見もありました。

私自身はこのブログでも時々書いていますが、「あきらめ」というよりも、若い頃に比較して「放置」できることが増えた気がしています。ブログでよく書くのは「ご縁」という言葉。
仕事でも人付き合いでも行きたい場所や読みたい本も、縁があれば今すぐやらなくても、やってくるし、縁がなければ頑張って繋ぎ止めようとしても無理なんじゃないかなぁ‥と、ここ数年自然に思うようになってきました。
「あきらめ」というよりも、「どうでもよくなった」という感じでしょうか。これも気がついたら優先順位が変わっていたという話に繋がりそうです。

ここでは、自分達のことはさておき、子どもたちにその辺りをどう伝えるのか?という話が出たのが非常に興味深かったです。

「若いうちは諦めちゃいけない気がする」という話もあれば、スポーツのように夢を実現するためには、ある時期にものすごく頑張らなければならないものもあるが、そのとき別のスポーツをやっていれば違う結果があったかも‥というのあるとか、とことんやらないとわからないものもありますね‥とか、子供の教育については、直接将来につながらなくても懸命にやっていれば、何かに点と点でつながるとは思う、その一方で目標が叶うとも、夢を持つなとも人には言いたくない等、考えさせられるお話が多かったです。

一方、この本の中でもう一つあげられているのは、「身体の有限性」。先ほどのスポーツの話にも通じるものがありますが、精神力でどう頑張ろうとしても身体がついれこれないことは、あるわけで、これがいい意味で機能すると「適度なあきらめ」につながるケースもありそうです。

とはいえ、そういった身体の有限性にあきらめがつかず、自殺してしまった三島由紀夫のケースなどもこの本には取り上げられていて、これも誰もがうまくいく処方箋にはならなそうです。

ちなみにこの章の最後には以下のようなまとめの文章が掲載されています。残念ながら読者への回答はやはり含まれていませんでした。

【この章のポイント】

いつ、なにを、どのように、「あきらめるか」が人生の本質であり、適切になされれば成熟と精神の安定をもたらす。だからこそ、いつまでもあきらめを認めなかったり、逆に都合よくあきらめさせることで相手を支配するような悪い意味での「権力」の装置に気をつけよう

終章 結局、他人は他人なの?ーオープンダイアローグ

最後の章は、オープンダイアローグ(OD)についてです。これはご存じないかたが多いと思いますので、本文の説明を以下に抜粋しします。

ODを直訳すれば「開かれた対話」ですが、診察室で患者と二人きりで会話する従来の精神療法とは大きく異なります。患者さんとその家族、また精神科医だけではなく臨床心理士や看護師といった十名前後の関係者のグループが、一か所に集まり、なんども対話を重ねる。急性期には毎日、安定してきたら二〜四週間に一度のペースで、症状が改善するまで行うことが多いとされています。

まずこういった治療法があるとは知らなかったというご意見から、うつ病は薬で治すものだと思っていたという話から始まり、自分が患者としてではなく参加を依頼されたら、その人に寄り添うために時間を使ったり、寄り添うことやそれころ共感できるかな?と考えたというご意見も。

前述の共感の図にもありますが、そもそも無関心だったり反発心が起こったりする相手に自分が共感できるとは思えないという率直な感想も。

これまでの精神治療というのはどちらかというと、治療計画を立ててそれに進めていったことから、ここでお馴染みの「PDCA」という言葉出てきます。
一方のOD は対話によって何が出てくるかわからない‥そもそも患者がどうやって良くなるのか、治療者に予測することはできない‥という前提があります。

ここで参加者から「PDCAって会社でしょっちゅうやっているけど、良くないものなかな?」という素朴な疑問が。
こういう脱線めいたところが、まぁやっぱり読書会の醍醐味なんだよねぇ‥と私なんかはとても嬉しくなります。

PDCAを回す、小さく計画を作って、ほらできたよね、といって発展させるというやり方は、従来の認知行動療法と近いけれど、斎藤さんはそもそもそちらも否定派。
ここからPDCAの良し悪しについて、意見がたくさん出てきます。その中で、「PDCAはオペレーションにはよいけれど、新規ビジネスには向かないのでは?」という、なるほどというご意見。

これからはPDCAはやめて、今度は書く個人の目標や夢を出してそれをやっていこうと方針を変えると言われても、会社の全体目標とその個人の夢をどう整合性を取るのか、どう部下に伝えるのか‥それが中間管理職に全部回ってくる‥というのも疲弊する。

その一方で新規ビジネスのアイデア構想段階ではPDCAが向かなくても、最終的にオペレーションのないビジネスというのはないから、どこかでオペレーションは必要になってくる。アイデアを出すのが上手な人とオペレーションが上手い人とは両立するとは限らず、会社の人数が多ければそこは分業できるかもしれないけれど、小さいと一人がその全部やらないとならない。そこで人事評価を行うのが結構難しい。

さらに話は広がって、この本にも発達障害の話が出てきますが、ハイコンテクストなやり取りが若い人とどんどん難しくなってきている気がするので、ある意味全員が発達障害があるという前提にたって、ハイコンテクストを期待しない仕事の仕方を考える必要がある

そもそも人事評価って、ものすごくリソースを割くことだし、しかも相手の人生も変わりかねないので心理的負荷が高すぎるのでは?とか、最後は本の話からだいぶズレたそれぞれの人生の話となり、とても面白い対話となりました。

読書会全体の感想

今回の読書会も、いろんな話ができて楽しかったというのが多かったのですが、一番多かったのは、いろんな意見を聞いて、もう一度すぐにこの本を読み返したくなった‥というものでした。
私も同じ感想でした。

第9回読書会について

さて、次は年内最後の読書会となります。

こちらは今回の本よりは、ずっと素直(?)で読みやすい本です。

この本面白いのかな?と迷われている方にお勧めなのが、著者によるTEDでの講演です。英語版ですが日本語字幕付き。
この講演の内容がもっと細かくなったのが、本の内容で、本だと実際に子どもたちがどんな文をどのぐらい理解せずに読んだ気になっているのかの例なども豊富です

ぜひ、まだお会いできていない皆様に、年内最後のサードプレイスでzoom上でお会いできればと思っております。よろしければぜひご参加ください。

参加に勇気は必要ありません。下記から申し込むだけでございます。 お申込み後は本をご用意して興味があるところを読み、全部読めればそれも良し、読めなくても楽しめますので、安心してご参加ください。

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