Weekly Review – Week 26th, 2021

どっぷり梅雨のお天気となりました。
週末は、私の暮らす逗子では大雨やら土砂災害の警報が鳴り、横須賀線も京急も遅延やら折返し運転となり、逗子インターでは、土砂崩れもありました。

犬も散歩不足で不機嫌。
私も五苓散を1日3回服用することになったおかげで、低気圧による体調の悪さはなくなりましたが、こうジメジメしたお天気が続くと、なんだか身体にカビが生えてきそうで、明るい気分にはなりにくいです。

本格的な梅雨前の週初めに、なんとか紅生姜だけ、作れたのでホッとしました。

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書類の整理

週の初めに、夫が金融機関とのやり取りのために必要な書類を持って出るのを忘れ、その書類の写真を撮って送ってほしいとの連絡がきました。
クローゼットに置いてあるというので調べてみると、これがもう紙ものがめちゃくちゃに積み重なっているのです。そもそもそこは洋服をしまう場所です…。

いるものいらないものがグチャグチャで。
その前にも不動産の権利証をなくし、大変な目にあっているのに、懲りないというか、基本的に書類整理が無理なのか…。
職場は秘書の方がいるので、なんとかなっているようですが、プライベートはどうにもならないようです。

それらをすべて出して、とりあえずクリアファイルに金融機関や保険ごとに分けたり、仕事の参考資料、仕事の重要であろうファイル(多分、もうこの時点では重要ではないと思うのですが)を分け、などしているうちに3時間ぐらい掛かってしまいました。
そして、結局のところ夫がすぐに見つかると言っていたその日に必要としていた書類はありませんでした。

今後は分けたクリアファイルにそれぞれ入れてください‥と言っても、おそらく突っ込むだけで古くて必要なくなったものを捨てない‥・ということになりそうなので、諦めてダイソーで、透明な箱を用意してそこに投げ込んでもらい、私が週次レビューの際に、まとめて処理することにしました。

起業、フリーランスというと、ビジネスアイデアとか人脈が必要だと思われがちなのですが、案外必要なのは地味なファイリングを始めとする事務処理能力だったりします。私より世代が上の男性たちが、結構詰まるのはこのあたり。
若い頃からアシスタントがすべてやっていてくれたから、そういうスキルを身につける場がなかったのでしょう。

事務処理とか会計処理とか、私の場合は、派遣時代に身に着けたスキルですが、案外一番長く使えているスキルはこういった地味なもののような気がします。

日経新聞再考

相変わらず、自宅に紙の日経新聞を取っています。以前書いた記事から変わったのは、時間がなくてスクラップをやめたことでしょう。

日経新聞との付き合い方

ご縁があれば、またその記事内容とどこかで会えるだろう‥わざわざ記憶に残したり、記録しておいたりしておかなくても…と思うことにしました。

先日の読書会で、「独学大全」を取り上げたところ、これから学びたいことについてあれこれのご意見が出ました。

第11回読書会(サードプレイス)開催報告「独学大全 ~絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法~」編

歴史、哲学、財務会計、地政学など色々と話が出たのですが、実はこのあたり日経読んでいると結構網羅されているな‥と改めて気づきました。
財務会計は日経新聞ですから、リアルな事例がたくさん取り上げられていますし、国際政治などの記事には歴史の解説が含まれることが多く、さらに有識者者の論考などは哲学の話も含まれていることが多いです。

以前の記事にも書きましたが、ITやDX(デジタル・トランスフォーメーション)の知識も日経の掲載記事ぐらい押さえてあれば、自分で開発・構築・運用などをする立場でなく、外部に委託したり専門の部門に任せるぐらいの立場であれば、十分会話が成り立ちます。
(特にDXについては、大半のエンドユーザ企業は外部の委託先と会話ができなくて困っているケースばかりです)

最近、いわゆるビジネス書にもあまり興味が持てないのですが、日経を読んでいると大体のビジネストレンドがわかり、さらにその時々などの世間の流行も取り上げられているので、新聞を熱心に読むほうがむしろ範囲が広くて良いかも‥と感じ、夕食後にまとめてその日の新聞を読んでいます。
朝刊・夕刊とまともに読むと日にもよりますが、1時間〜1時間半ぐらいかかります。(日経の場合、日曜と月曜は内容がスカスカなことが多いです)

スピードでは、ネットのニュースの速報性にはもちろん劣るのですが、そもそもそんなに早く押さえておかなきゃいけないニュースなど今の私には冷静に考えるとありませんでした。
新聞を読むおかげで、ネットでニュースを見る必要がなくなり、ネット離れしてきました。
離れてみると、ネットニュースというのは、見出しから本文までものすごく読み手の感情を揺さぶるような書き方をしているのだな‥というのがよくわかります。

遠近両用メガネ

人生で初めて、遠近両用メガネを作りました。実際に使えるのは、再来週からとなります。

小学生高学年の頃から、極度の近眼のため、常にメガネやコンタクトレンズが必要な暮らしが40年ぐらい続いていています。現在の視力は、0.03ぐらいです。

今は大体以下のようなパターン。

1. 近眼用コンタクトレンズ+必要に応じて老眼鏡
自宅で仕事をしているときは大半これ

2. 遠近両用コンタクトレンズ
外に出る時間が多いときはこちら。
さらに老眼鏡を持って出ますが、老眼鏡は(1)の近眼用コンタクトレンズに合わせているため、長時間は無理。

3. 近眼用メガネ
朝晩のコンタクトレンズを入れる前、外したあとのみ。
以前のメガネが駄目になって、JINSで慌てて作ったのがこちらの近眼用メガネ。本来、乱視も入れるべきだったのだけれど、時間なくて乱視の入っていないレンズ。さらに、メガネの度数をあげると、クラクラして歩けなくなるので、1.0も見えていないぐらいに調整してあり、色々と不便なので、外ですることはほとんどありません。

最近、この(1)の近眼用コンタクトレンズだと、どうにも不便を感じるようになってきて、以前から友人に進められていた遠近両用メガネを作ってみることにしました。

遠近両用メガネを避けていたのは、そもそもメガネで近眼の視力をあげようとすると、クラクラして外に出られない‥というのと、昔の遠近両用メガネって、遠視と近視のレンズの間にバッチリ線が入っていて、いかにも遠近両用!という感じで、ものすごく老け込んで見える印象があったからです。

‥が、友人曰く「yoshikoo、あんたいつの時代の話してんのよ。もうそんなのないよ」と言うではありませんが、彼女は私が聞いているだけでも老眼鏡を5本以上は作っていますし、お店やらブランドにも異様に詳しく、そしてメガネもとても良く似合うので、この友人に付き合ってもらって、銀座までメガネのフレームを選びに行き、その後は神保町でレンズも調整してもらいました。

そもそも私はメガネが子供の頃から苦手です。
視力が極端に悪いので、レンズがどうしても厚くなり、まず目の大きさがものすごく小さくなってしまい、さらに鼻筋がきれいでないため、どうにも宴会芸の鼻付きメガネを掛けた人みたいに、なってしまうためです。

似合わないものをしみじみと眺める気にもなれず、そこから何とか見栄えのするものを選ぶ気力などもなく、現在に至っているわけです。どうせ、何やっても似合わないし‥というモード。

友人はそれとは真逆でものすごいたくさんのものから、フレームを吟味してくれて、店員さんたちも巻き込んで、あれこれ出してもらい、こっちのほうがいい、あっちの色のほうが‥とう言われても、どこがどう違うのかも私にはさっぱりわからず、みなさんが良いというものを2つに絞り込んでいただいて、「じゃぁこっち」みたいな感じで選んできました。

シーナ・アイエンガーの「選択の科学」のジャムみたいなものです。数が多すぎると選べません。特に興味がないと‥

このあとのレンズ屋さんも押してしるべし‥という感じで。フレーム屋さんとレンズ屋さんで友人と店員さんたちがしている会話もなんのことやらさっぱりわかりませんでした。

友人が私の苦手領域の知識と経験が豊富だったのも有り難いのですが、なんと言っても有難いのは、「こいつ自分の興味がないことは全然だめだ」というのをよく理解してくれていて、全部仕切ってくれたことです。
これが、「こういうのはあくまで自分のものだから、yoshikooの意見と好みを」・・という進め方だったら、意見も好みもまるでないからどうにもならん‥状態でストレスだけたまって、逃げるために「一度家に帰ってゆっくり考えてみます」となり、何も作らず二度と眼鏡屋さんに行こうと思わなかったのではないかと思うのです。

読了

非色

この本の存在は知っていたのですが、本屋さんで見かけることがまったくなかったので絶版になっていたものが復刊されたようです。
近年のBlack Lives Matter問題から復刊が決まったのかな?
戦後に日本にやってきたアメリカ兵の黒人男性と結婚し、子供が生まれニューヨークのハーレムに暮らすという女性が主人公の小説です。彼女は日本での人種差別に辟易として、子供のためにアメリカに行くのですが、そこではまたもっと複雑な人種差別に出会っていきます。
差別の要因は、「人種」それとも「階級」それとも‥といろいろと考えさせられる本です。随分と古い小説だと思うのですが、今読んでもまったく古く感じない本です。さすが有吉佐和子。

母子変容 上下

こちらも復刊されたのではないかと思う有吉佐和子の小説です。
Kindleで表紙を見かけたときに、アッ!と思いました。いつ見たのか全く覚えていないのですが、記憶にかなり克明に残っていたからです。
ひょっとして、以前に読んでいるのかな?と思い、読んでみましたが初めてでした。
新劇女優の母と、別れて暮らしていた娘が映画女優になり、2人の女優が主役の華やかな話ですが、やっぱり私は、同じ有吉作品の女優モノとなると、「開幕ベルは華やかに」が好きすぎで、ちょっと入り込めなかったかな。
とは言え、本当に好きな作家なのでKindleでバンバン復刊されていくのは嬉しいです。(文句つけているわりに、上下巻2日で読みちゃっているし、どれだけこの作者好きなのよ‥と自分でも呆れ気味)

ビジネスの未来――エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ジャンルとしては、ビジネス書のコーナーに置かれていると思うのですが、ビジネス書というよりも生き方指南的な本のように感じました。
日本や世界の先進国の資本主義市場はもう成熟してしまっていて、モノを必要としている人がほとんどいない。そんな時代にGDPのような経済指標を伸ばしつつけるなんていうのは、ナンセンス。これからは経済成長といったハード面じゃなくて、精神面や人間性を充実させるソフト面が重要という話です。
同じようなことを思うことがしばしばなので、概ね同意です。
ただ、具体的にそれはどうするの?というときに、ベーシックインカムというのはちょっと安易ではないかな‥と最近色んな本を読んでから感じています。また著者のようなナレッジワーカーはともかく、エッセンシャルワーカーのケースはどうなるのだろう?とか、そのあたりに考えることが多そうです。
山口周さんの本は、作者の知識と教養の範囲が広く、そしてそれをベースにした注釈や引用文献がしっかりされているのが有難いですね。このあとの読書につながっていきます。

ガラスの50代

「負け犬の遠吠え」で有名な酒井順子さんの本。1966年生まれの著者と71年生まれの私は、ほぼ同世代のため背景事情が近いというのもあるのですが、それ以外にも多分、性格的にも似ているのかも‥とものすごく親近感を感じました。
私も50歳になり、全然大人になっていないのでは?という疑問、熟成とか老成とか私の中にいつ表れるのだ‥と、なんかいつまで経ってもふわふわしているものを感じて、こんなんでいいのか?感が拭えません。
一方で、酒井さんがこの本で書かれている、いつまで経っても、若くいないと‥みたいな風潮に若い頃から疲れ切っています。
1990年代前半の、私が20代の頃は、「子供がいるなんて信じられない」と言われるママが素敵・・みたいな風潮があり、美容室その手の雑誌を読んでは「勘弁してよ‥」と思っていましたが、近年ルッキズムの問題もあり外見こそグレイヘアも素敵、年齢相応のおしゃれ・・・みたいなので無理な若作りの風潮は少しずつ後退している気がしますが、精神面は別物。
何歳にもなっても自分を向上させる、好奇心旺盛で気持ちは年取らない‥とかいう流れに、なんだかねぇ…となっています。
素敵な年の重ね方が若い人たちのロールモデルになるとか、初老になってまでそんなに自分を追い込んだり奮い立たせなくても、もう好き勝手に老け込んで好き勝手なことをやるで良いんじゃないかな‥私も感じます。

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