展覧会:「イメージを読む 写真の時間」「イメージの洞窟 意識の源を探る」東京都写真美術館

秋晴れのお天気の中、久しぶりに恵比寿の東京都写真美術館に行ってきました。

「イメージを読む 写真の時間」で印象に残ったのは、米田知子さんの眼鏡越しにテキストや風景を見たところが、写真に撮られている作品。
何というわかりにくい説明…。

美術館のサイトのこちらのトップに掲載されている写真「安部公房の眼鏡―『箱男』の原稿を見る》」をご覧いただくのが一番わかりやすいかと思われます。

この作品以外に「フロイトの眼鏡 ユングのテキストを見る」や「マーラーの眼鏡 交響曲<未完成>を見る」など、いくつかの作品がありました。
私自身は、谷崎潤一郎の文字そのものに惹かれるものがあり、「谷崎潤一郎の眼鏡 松子婦人への手紙を見る」という作品がお気2位入りです。

W.ユージン・スミスの写真は以前から好きで、以前にもこの美術館で展覧会を観ています。
今回は本や新聞を読む人を被写体にした一連のシリーズが展示されていて、本のある空間が放つ独特の静けさとこの人の写真に共通する静謐さが合わさり、うーん、手元に置いて飾りたい‥と。
(残念ながら、こちらポストカードなどがミュージアムショップなどで見当たらず…)

土田ヒロミさんの「ヒロシマ」は、以前から聞いてはいたのですが、実際に観たのは初めてで、一つだけ文章のついていない「拒否」というタイトルの作品が非常に印象深かったです。

同時開催の「イメージの洞窟 意識の源を探る」は、洞窟の入口から始まり、続いて沖縄のガマの写真が暗い会場で続きます。
暗さと相まって実際に洞窟の中を歩いているような感覚に囚われたところで、北野謙さんの赤い作品が目に飛び込んできます。
6ヶ月未満の乳児を印画紙に寝かせて作られたフォトグラム(カメラを使わず、物体を印画紙に直接のせてイメージを写し取る写真の制作技法)「未来の他者」は、なんとも言えず衝撃的でした。

フィオナ・タンの映像作品「近い将来からのたより」は、ビーズクッションが用意されていて、そこに横になりながら観てきました。
古いニュースで海・滝といった水がつねにある作品を横になりながら眺めていると、波のよせてくる感じや水の音がものすごくリアルに感じられてきました。

作品を眺めながら、アートってなんなのかな?とふと思いました。
「美しい」とか「すごい」とか感心するものもアートだけれど、こういう感覚知ってるな・・とかそういうのも多分アートなんだろう。
村上春樹のファンは、彼の小説を読むと「どうしてこの人は自分が感じていることがこんなにわかるのだろう?」と思う人が多いらしく、そういったファンレターを世界中からもらうと村上春樹自身がエッセイで述べていた。

自分の深いところにあるものを引っ張り出すというのも、アートだったりするんだろう。

そんな風につらつらと考えていると、アートってそもそもどうやって評価するのだろう?それをアートと捉えるかどうかって恐ろしく個人的な体験や感覚なんじゃないかなぁという気がしてきた。
こうやって美術館に展示されるものもあれば、まったく人から顧みられない作品も多分たくさんあるのだろう。

なんてことをぼんやり考えながら、ノイズの多い映像を楽しみました。

ミュージアムショップでは、久しぶりにピアス購入。
nobukofuさん の大ぶりのもの。
美術館でピアスを購入するのが、好きなんです。こちらのミュージアムショップは、書籍が充実していてお気に入り。

今回は仕事の関係で、美術館内の図書室に寄れなかったのが、心残り。次回はぜひ。

こちらは、川内倫子さんの作品。「イメージを読む 写真の時間」から

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    2006.11.09

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