断想:モノにまつわるあれこれから、つまらない大人にいたるまで

大掃除の季節がやってきた。
ここ数年引っ越し続きで、「今年引っ越したばっかりだしね」という口実で、大掃除はろくすぽやらず、いつもより少し広い箇所を掃除するというようなものなっている我が家。
以前は、まぁ我が家はモノが少ないしね‥と思っていたのだが、何度かの引っ越しですっかりモノが少ない家ではなくなってしまった。この機会に少しそのあたりを振り返ってみようと思って書いたのがこの記事だ。

2019年までの下町暮らし:賃貸マンション(35㎡)

もともと逗子に越してくる前は、東京の下町での昭和感の漂う賃貸マンション(35㎡)に夫と犬と暮らしていた。
当時の大きな家具は、背の高くない食器棚、たためる二人がけのバタフライテーブル、コタツ、畳める椅子(バタフライテーブルにあわせたもの2脚とニーチェア)、洗濯機、畳める犬のゲージ、コート掛け、押入れ整理ダンス、複合機のインクジェットプリンターそんなところ。
大量の本とオフシーズンの服、着物類は1畳に満たないトランクルームを借りていた。(もともと持っていたマンションの売却をするにあたり、置く場所と整理する気力がなかった)

2020年からの逗子の暮らし:戸建賃貸(80㎡)

最初の逗子で借りた家は、建売の2階建ての戸建で、延べ床80㎡ぐらいだったかな?すべての部屋にクローゼットがあったので洋服をしまうのには全く問題なかった。
東京では食事用に使っていたバタフライテーブルがこの家では私の仕事机になり、食事はすべてコタツを使うことにした(夏は座卓として使用、この時点で大きめのラグを追加購入)

東京にいたときは、置く場所がないこともありセミダブルの布団に2人で寝ていたが、お互いの睡眠の質を高めるのにもう一組シングルの布団の用意をし、さらに来客用に一組布団を用意した。

仕事部屋もできたので、本を置く棚が必要になったが、何しろ賃貸物件だから、次の引っ越しがどうなるかわからず、とりあえず山善の3000円ぐらいの高さ1メートルもない化粧板の軽いものをいくつか用意した。
廃棄前提のものだ。
この本棚は、一段の高さが20cmないので少し大きな本を入れるには、一段横板を外さなくてはならないのだが、安物だから、横板をぬけばすぐに歪む。今も歪んだまま使用している。
本はやたらにあるので、これ以外にもダンボール6箱ぐらいある。さらにすぐ読む本だけまとめようと積ん読タワーも購入。

なぜかこの時の家は、洗面所に収納がほとんどなかったので、タオルなどを置くのにキャスター付きのアイリスオーヤマのワゴンを購入。これは結構便利で、仕事部屋の文具入れにも追加で購入。
仕事関連ではその他に仕事用の机に挟むタイプの照明も増えた。

この家は収納はやたらにあったのだが、収納がやけに高い位置にありさらに奥が深いし、そして肝心なところに収納がない。多分、身長が2メートルぐらいないと使いこなせないだろう。
キッチンの収納もやけに高いので、調味料などは取り出しやすいようにこれまたワゴンを購入することになった。
さらにひどかったのが、この家は床の材質が表面に厚紙をはったようなもので、これがベロベロとあちこちから剥がれだしてきた。どうやら熱に弱いらしい。暖房を使い始めると同時に剥がれがひどくなり、これを抑えるのにまた大きめのラグが増えた。

仕事が忙しくなってくると、適当な椅子はかなり辛くなってきてアーロンチェアを購入したり、作業効率を上げるのにデスクトップにしたり、地べたに座っていると腰が痛いと夫が言うので、くつろぎようにアネロチェア買ったりとまた物が増えた。

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その他にも戸建ての家は、集合住宅に比べるととても寒く、ストーブを追加。海の近い暮らしは湿度がひどくて、洗濯物を乾かすために除湿機を追加、なぜか最初の家はリビングとキッチンに照明がなかったので、購入。
そして、リビングはクーラーもなかったので、それも購入。

2022年からの逗子の暮らし:戸建て賃貸(平屋庭付き:100㎡)

今年(2022年)の2月に逗子市内の逗子というエリアから、同じ逗子市内の新宿というところに引っ越した。徒歩15分ぐらいの距離。
そのタイミングで、引越し業者から見積もりをとって、東京にいた頃に比較して随分とモノが随分と増えたことに気づいた。

そこからさらに今の家(平屋100㎡超え、庭つき)に越して、バタフライテーブルはキッチンに置くことになったので、仕事用に一枚板の机を用意。

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庭の手入れは、植木屋さんが定期的に入ってくれるけれど、草取りはやはり必要だし、枯れ葉も落ちるしで、場所によっては多少なりとも剪定しないと邪魔だったりして、その手の細かい道具が増えていく。これも次の引っ越しでは全部いらなくなる可能性が高いだろうな‥と思いつつ。

逆に以前の家で購入したエアコンと照明2つは使う場所がないので納戸に入れてあり、さらに今の家は、大きな古い食器棚もついていたので、背の高くない食器棚も納戸にいれてある。それから前の家のカーテンも全部使えなくなったのだが、布面積が大きいのでなにかに使えないかと一応取ってある、これも納戸。(最終的には掃除用のウェスにして終わりになりそうな気がする)

着物を着る機会が増えたので、そう高さのあるものではないけれど、桐箪笥と桐の小物入れを追加し、またモノが増えた。
普段に着物を着るようになれば、着物に関する物は増えていく。(特に小物)
これは、年齢とともに持っているものが合わなくなってきたというのが大きい理由。
とはいえ、着物そのものも着物周りの小物も耐用年数は私の場合10年以上なので、洋服よりずっと経済的だ。

一方でスーツは形が古くなって着られないものが増え、だいぶ減った。全体に洋服は随分と減った。そもそもクローゼットがものすごく狭い。
東京では洋服を増やすのは簡単だけれど、こちらでは気に入った洋服を買うのは結構面倒なので、処分したら処分したままで買い替えることがないからだと思う。
ネットで買うという人も今は多いのだろうけれど、着物とちがって、洋服は着てみたら襟の開きなど1つとっても、全然思っていたように似合わないことが多くて、試着しないのは私には無理。

こうして書き出してみると、逗子にきてからの買い物というのは、必要だから買ったものばかりで、必要ではないけれど可愛いから、素敵だから買ったというものがほとんどないような気がする。
東京とちがって、歩いていても物欲をそそるものに全く出会わないというのも大きな理由だけれど

そろそろモノを減らしたい…

モノが増えてくれば、減らしたいという気持ちになる。
というより、さすがに減らさないとまた次の引っ越しの機会は辛いよね‥とも思うし、歳を取ると、どこに何があるかというのを把握しておくのが日に日に難しくなってくるので、在庫のあるものを買ってしまったりというのが増えてくる。
スッキリしていれば、こういうミスは減らせるだろう。

逗子で暮らすようになって洋服や魅力的なモノを買ったりしなくなり、モノが減った理由は、すでに書いたように「買い物が不便だから」だ。

でも、その他の物が増えた理由にも「買い物が不便だから」というのがある。
ドラッグストアもスーパーもあるのだが、それなりに距離があり、通勤もないので帰りについでにという流れがなく、微妙に面倒くさい。そもそも店舗というのは、行っても在庫がない、欲しかったものがないというのも多い。
となると、ドラッグストア関連、ペット関連と重たい調味料類は、ネットで購入というのが増えるが、送料もあるのでついついまとめて買って、在庫を持つ羽目になる。

こう考えると在庫を持たないミニマリスト生存区域って、ある程度都会に限られるのではないかと思う。
車も自転車もシェアでいいよね‥というのも人口の多い場所に限られる、ミニマリストになるということは、実は贅沢だったことに気づいた。

モノを減らそうと思ってインスタグラムなどを眺めていたが、どうにもそそらないのは、多分そこに個人のこだわりや個性が全然感じられず、ショールームみたいに見えるからだと思う。
おしゃれでスマートなやり方だとは思うが、なんだかのっぺりしている。

子供の頃によく見たお菓子の缶に裁縫道具が入っているとか、私が子供の頃にはよく見かけた黒い固定電話のカバーとか(かなりの確率で趣味が悪い、そもそも必要ないと思うし)、白物家電と家電が呼ばれた時期のポットや炊飯器に描いてあった謎の花の絵などが妙に懐かしいし、そういうものこそ、記憶に残るんだな‥としみじみ思う。

インテリアにめちゃくちゃ凝っている友人の家は、あちこちがローラ・アシュレイ風で全然今どきじゃないけれど、友人の好きなものに囲まれているという感じがすごく印象に残るし、転勤族なのに人からいただいたものは捨てられず、テイストがバラバラな細々とした土産物が並んでいた友人のタンスの上は思い出すたびに気持ちが温かくなる。

学生時代の友人は、学生時代と同じマグカップが手放せず、モノとしては安いものだったけれど金継ぎして未だ使っているのをZoomでおしゃべりしているときに気づいてその瞬間当時の友人の部屋を思い出した。

ここまで書いて気づいたけれど、どうも私はスマートで洗練されたシンプルな生活とか、無駄のない生活とかにどうも飽きてしまったのだと思う。

私が東京に暮していたときにスマートで洗練されたシンプルな生活をおくっていたわけではない。ただ、そういうのは素敵だと考えていたし、できればそういう生活がいいなぁとは思っていた。

若い頃は、私は一生こういう性格だから、こういうことが一生大事だから‥と思っていた価値観みたいなものが、色んな人に逢って、色んな経験を通じて変わっていくんだな‥と40代後半で気づいた。若いときはそういう変化を忌み嫌っていたように思う。世間に迎合する‥とか、長いものには巻かれろ…みたいな「つまらない大人」みたいに思っていた気がする

まぁ、そういう意味では「つまらない大人」になったのかもしれない。
しかし、なってみると「つまらない大人」というのは、若い頃に持っている極端に強い自意識から抜けられてかなりラクなものでもあって、そもそも若い人から、「つまらない大人」と見られても、極端にいえば「どうでもいい」となってしまうのだ。
だって、その人達は自分の人生にほとんど関係がない、外側にいる人達だから。
若いときみたいに知らない人から、できない人だとか不細工だとか思われることについて考えるほど、残り時間も体力も少ないので、自分の居心地の良さが優先になる。

書き始めたときは、そうだモノを減らそう!断捨離だ…みたいな文章になる予定だったのが、どうしてここに着地したのかよくわからない。
ま、若い頃はさんざん、目標たてたり、ゴール設定したりしていて、それに飽きてしまって今はふわふわしているので、文章も着地点がふわふわになったのかもしれない。

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