フューチャー・プレゼンス 仮想現実の未来がとり戻す「つながり」と「親密さ」

「VR」について、あなたはどのぐらい興味をお持ちだろうか?
あなたがゲーム好きならきっと、ある種の映画のジャンルが好きならきっと、技術者としてのこの手の技術に注目している人ならきっと‥
ある程度興味をお持ちだろう。

一般の人は、「VR」「仮想現実」という言葉は聞いたことがあっても、「最新技術ってやつね‥」ぐらいの関心ではないだろうか。

さて、このレビューを書いている私。
IT業界で15年ぐらいご飯を食べているのだが、技術者ではない。
最近は、IT業界も片足突っ込んでいるぐらいで、IT業界人です!と胸を張って言えるようなものでもないし、そもそもドップリと業界人だった頃から、さして技術に興味がある人間でもない。

一方、ゲームに関しては、小学生時代にブロック崩し、ゲームセンターのインベーダーゲーム、妹の持っていたゲームウォッチでドンキーコング、同じく妹の持っていたファミコンで最初のスーパーマリオぐらいしか経験がない。

1991年に娘を産んだが、娘には一切ゲーム機器類を買ったことがない(本人も特に希望せず‥)
ということで、いわゆるゲームに関しては、全く知らない中年オンナである。

現在の仕事に関して少し書くと、マーケティング関連の仕事が多く、特に最近はデジタルマーケティングと呼ばれるSNSやら動画の世界の仕事に関わることが多いが、もともと活字中毒なのもあり、自分のペースで進められない動画は苦手、ついでに言うならSFとか未来的な映画も苦手である。

書店に並んでていても、まずこの本が平積みされていても気づかないで素通りするような私だが、とあるきっかけでこの本を読むことになった。
ついでに書評もこうして書いている。

読み終わって、さっそくオキュラスを注文した

…‥なんてことは全く無いけれど…

気がつけば、あちこちの人にVRの凄さを語りまくってしまった。
AIについては、まったく面白みを感じない私だが、この本でVRを知って、そこにはかなり衝撃を感じた。

この帯にショッキングピンクの文字で書かれている

「VRはAI以上に、僕らの世界を激変させる」

これは、本当のことなんだろう・・多分。この本を読み終わるとあなたも私の言っていることも、この帯の文句も嘘ではないことを理解してもらえると思う。

常々、私は最新技術やIT業界について詳しくない人に、現在の技術やその先の未来の技術の発展について聞かれる度に話しているのは、以下のようなことだ。

今の私たちが、「ITでこんなことができるのじゃないか?」と思いつくようなことは、大体できる‥。
但し、ものすごく莫大な投資が掛かるものは、製品化もサービス化もされていない。
結局、その投資に対して見合うようなリターンがあるものだけが、作られて発売され、そして採用されたり購入されたりしているだけだ‥
技術の問題というよりも、コストとリターンの問題であることが多い。

まだまだ人を雇ってやったほうが早いし、コストも低いという分野は山程ある。
でも、それがIT化ができないか‥といえば、そこは結構微妙なところも多い。
できるけれど結局安くない、人手で十分という分野もとても多いのだ。

この本が衝撃的だったのは、「ITでこんなことができるのじゃないか?」と想像していないことばかりだったからだ。

この本の副題に含まれている「つながり」「親密さ」という言葉、こういった人間の感情をベースにするものというのは、いくらなんでもアナログの世界だと思いこんでいた。

もちろん、SNSやSkypeみたいに物理的な人間関係の距離を縮めるための技術の存在は昔からある。
でも、それは主役は人間。技術はインフラと呼ばれるもののはずだ。

この本を読んでいると、そのあたりがさっぱりわからなくなってくる。
なぜなら、VRというのは、人間の脳を騙すことにフォーカスされている技術だから。
こうなってくると、人間が技術を使っていると言えるのか、技術(VR)に人間がコントロールされているのか、よくわからない。

VRとはなにか?
人工的な環境であることがまず、大前提。
それから、その環境に奥行や見渡せるリアリティがあること、そして最後に自分がその世界に実際にいると感じることができるものだ。

この実際にその世界にいるという感じを抱くのは、人間の認識(ようは脳みそ)を騙すということ。

VRアニメを見れば、そこでは目が合うことをあなたは感じることができる。
細身のあなたは、VRの世界では太ったキャラクターに変身していることもある。普段のあなたは敏捷に動いているかもしれないが、VRの中のあなたは、自然に動作がゆっくりになってしまう。なぜなら、あなたは太っているからだ。
脳はあなたの身体を太っていると認識してしまうのだ。

スマートフォンに没頭する人が多いのを私達は、電車の中や、駅のホーム、公園あらゆる場所で見かけている。
でも、スマホはあくまでも身体のごく一部だけ。
VRはそれを根こそぎ全身を持っていってしまう力がある。その没頭は比較にならないだろう。

FacebookがVRに積極的に投資しているのは、有名な話だ。
彼らはそこで友人関係をより深めるための共有体験を提供しようとしている。
何年も実際には会っていない友人と、一緒に旅行に行ったりすることができるのだ。(それって、どうなんだろう?と個人的には思うけれど…)

この本ではあまり取り上げられていないが、一方でこれはかなり恐ろしいものでもある。
ヴァーチャルの空間で触れたもの、目にしたもの、聞こえたものを私達は実際の体験と同じレベルで記憶てしてしまう。

吉田秋生の「バナナフィッシュ」ではないが、誰かに悪意をもたせようと思えば、そういうこともかなり確実にできてしまうのではないかと思う。

本書の中にも、VR上で仲間外れになる実験的なものが取り上げられていた。
自己肯定感が低い人にVRを使って、自己肯定感を上げることもできるだろうが、下げることもできるわけだ。

また、この本では、「シドラの空に浮かぶ雲」というVRが難民キャンプの実情を、体験してもらうことにより、莫大な寄付金を集めたという話が取り上げられている。

この話の詳細は、こちらに詳しいので、ご興味ある方は↓
「VRが無関心の壁を越えた。6人に1人が寄付した難民少女のドキュメンタリー『Clouds Over Sidra』」

リアリティが良いことに使われたパワフルな事例だと言えるだろう。

でも、これが戦争時に使われたら、どうだろう?
VR上で自国の人間や自分の家族に恐ろしいことや酷いことを行っている敵国の人間の映像ばかり見せられたら、私達の脳は平和的解決を望めるだろうか‥。

ということも負の分野についても、それがパワフルなだけに非常に考えさせられる本だった。

この本は、ゲームの話は多いし、SF映画の話は多いし、その手の人々が好きであろう、内輪受け的な話も多くて、ついていけない部分が多かったし、さらには挙句の果てには口語調で書かれていて、正直、私のようなアナログな人には読みにくい本だった。
(この手のジャンルが好きな人には、スイスイ読めるのだと思うが…)

でも、それでも全部読ませてしまう魅力が、VRには確かにあるのだ。
これが凄いと思う。
その広がり方や応用範囲、そしてVRに将来を掛ける人々の話はどこまでも魅力的だ。
ここでは書ききれなかったけれど、VR上での友情やポルノの話などは、想像通り面白い。
だって、無茶苦茶リアルだからね。

VRの今を網羅的に抑えるのに、とっても良い1冊だと思う。

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