敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人

1945年(昭和20年)8月、日本は終戦を迎えた。

終戦後は大きな混乱や貧困を経たのちに、私たちは高度経済成長を迎え、そして昭和の終了、平成と至る。

終戦後の日本と経済成長の間に何があったのか?

アメリカのGHQがやってきて、天皇制度が残り、でも主権は国民にあるという形になった。女性参政権も認められた。

ざっくりと高校までの日本史で教わったことはそうだった。

私の個人的な印象では、学校の歴史の教育というのは、近代に近づけば近づくほどざっくりしてしまい、教師の熱もなぜか冷めてくる気がしてならない。

父は昭和13年生まれ、母は昭和21年生まれ、いわゆる戦後直前に子供だった両親はあまり当時の記憶がないのだろうと思うが、その中を生き抜いた祖父も祖母も多くを語らなかった。私に聞けるだけの器がなかったというのもその理由だろう、もちろん口にしたくなかったということも考えられよう。いまこうしてこの本を読み終わってみると非常に残念なことをしたと思う。

今まで何も考えずに受け止めていたもの(思考停止状態だったもの)が、この本を読んでがらりと見方が変わった。
当たり前のことだけれど、わからずにいた、私たちの今の状態というのは、戦争から全部つながっているんだ、(もちろんその前から)、今の思想も政治も突然生まれたわけではなくて、全部つながっているんだということ。

新しい目を持って周りを見回すと、景色が変わって見える。

そして、一番不思議に感じるのは、日本の民主化というのは日本の中から生まれたものではない。GHQからやってきたものなのだ。(アメリカから押し付けられたから、正しくないという議論ではない)

それをすんなり受け入れ、なんとなく自分のもの、自分の流儀にしてしまう国民性というものに、すごいものを感じる。(だって、アメリカの民主主義と日本の民主主義は同じものから分かれたようには見えない)

そしてまだ100年も経っていないのに、民主主義を廃絶しようという意見は全くない。みんなが最初からそれが存在したように慣れている。

敗戦の虚脱はどれだけ大きかっただろうかと思うが、一方で(文字通り)敗戦を抱きしめて立ち上がるのも早いというのがこの本を読んでいるとよくわかる。

鬼畜米英はあっという間にヒーローになり、ファンレターや差し入れがわんさか届く。

敗戦後アメリカの文化が入ってくると同時に日本はたちまちそれを受け入れた、特に受入れが早かったのはそれまで虐げられていて、社会の中枢にいなかった女子供だ。そして敗戦と同時に文化への渇望に気がつくというのもすごい。文字通り食べるだけで精いっぱいの状況でも人は好奇心を失わないのだ。

無数の画像資料が、文章だけでは表せないことを雄弁に表わしていて、どの写真もくっきりと記憶に残ってしまう。

2010年から少しずつ丁寧に読んでいる。2011年読了のベスト3には間違いなし。

日本人と言う言葉をこれほど考えたのは初めて。



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