水の音 −広重から千住博まで− 山種美術館

広尾にある山種美術館に行くのはこれが初めて。平日の日中に訪れたが、展覧会の会期終了近いせいか想像していたよりも混んでいた。

日本画の展覧会に行くと、猛烈に着物が着たくなるというのは、私だけではないだろう。
この展覧会でも、山本丘人「流転之詩」に描かれた急な沢の流れときっぱりとした竹の対比を眺めるとあんな絵柄の着物が着こなせたら、どんなに格好良いだろうか・・・とつい考えてしまう。

洋服を買う場合には、決して「この服が着こなせるのか挑戦したい」などと考えたことはないのだが、着物の場合にはそう思うことがしばしある。
着物はスタイルと容貌だけで着こなしが決まるものではないから・・・というのがその理由のような気がするのだ。組み合わせで如何様にも変化ができるし、今は着られないものも年齢を重ねたりすることでしっくりと着られるようになったり、突然最適なコーディネートがはっと浮かんだりすることもある。
着物には「寝かせる」ことができる・・・という素晴らしい利点があるのだ。流行り廃りがないというのは、長く愛せることができるという素晴らしい一面を持っている。

そして多分、これは着物だけではなく日本の芸術全てに当てはまるのではないかしら?とこの展覧会の全体から感じた。

話を展覧会に戻すと、
最も印象が強かったのは、宮廻正明「水花火(螺)」。
とにかく迫力があってぐぐーっと引き付けられて、そして絵を至近で見るとさ、らにその詳細さにますます引き付けられて、さらに数歩進んでしまうという作品。
ぜひこれは美術館で実物を観ることをお奨めしたい。

横山大観「夏の海」。
「あっ、これは夏の海だ」・・・・と絵の前で。
そしてタイトルを見たら、「夏の海」だった。
でもよくわからないのが、どうしてこの海の情景が「夏」だと鑑賞者にわからせるのだろう。何が他の季節と違うのだろう。
描かれているのは、海、岩、月、松。構図もとてもシンプルでこんな感じの構図の絵って多分結構あると思うのだけれど、絶対的に何かが違う。アートに詳しい人ならば、こんなときにすぐ違いを表す言葉が浮かぶのだろうか?としばし作品の前で考える。

奥村土牛「鳴門」は、作品の中に描かれた渦に文字通り引き込まれる感覚がある。
これは山種美術館所蔵作品のようなので、今回の展覧会以外でもまた観ることができそうだ。これもぜひ実物の迫力を。

岩橋英遠 「懸泉」(けんせん)は、絵の中から音が聞えてくるような作品。
絵の大きさも大きいのだが、絵の世界がそれよりもさらに大きさと奥行きの深さを与えてくれて、呆然となる。
さらにその絵の下のほうに描かれた人物を発見し、その構図の凄みにまた驚かされる。これも記憶に深く刻み込まれるであろう印象深い作品だった。

それと対照的だったのが、杉山寧「澗」。力強い吸引力を持つ作品なのだが、この絵の前に立つと静けさに包まれる。

この展示会ではいくつもの作品が取り上げられている千住博氏だが、中でも「松風襖絵習作」は作品そのものの大きさもすばらしいけれど、居住まいをしゃんとさせる、自然と背筋を伸ばしてしまうものがある。
正座をして正面からゆっくりと鑑賞してみたい。

なるほど日本の芸術品にはそういう居住まいを正したくなる何かがあるなぁと、会場をぐるりと見渡して思った。こういったものが家の中にあったら、自然に行儀の良い静かな子供が育つかもしれない。

そんな中で最後にほっとするような作品があった。小野竹喬 「沖の灯」。
絵って暖かい温度を感じさせたり、冷たいものを感じさせたり、うーん、だって描いてあるだけなのに、体感温度も変えてしまうのだね。

決して広い美術館ではないのだが、満足度の高い展示会だった。
日本画も面白いなぁ。

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