コーチとパズル

2003年からコーチングを始めて、実は未だにピンとこないのが、「コーチ」という名称。
やっぱりスポーツのコーチのイメージが強くて、クライアントを上から見て「導く」というイメージがぬぐえない。
でも実際のコーチングはどうもそんな感じではないのだ。

じゃぁ、実際にやっているのはどんなことかというと、私のコーチングのイメージは、クライアントは大きなパズルを作っている。

このパズルのそれぞれのピースはクライアントの身体の約2倍ぐらいある。
それを運ぶのは大した重さでは無い。
各パズルのピースの絵柄はよく見えている。

だけど、各ピースが大きいのでそれぞれを組み合わせたときに、向きが逆だったり、全体から見ると収まりが悪かったりする。

勿論一つ一つを丁寧に見ていけば、それを最終的に収めることは可能なんだけど、何だか全体像が見えないので非常にイライラするし、それにモチベーションの維持も難しい、うまくいっているのかいっていないのかどうもピンとこない。

このパズルはクライアント側から自分のパズルの全体像はよく見えないのだけれど、コーチからはクライアントのやっているパズルの全体像はよく見ることができて、逆にコーチはそのピースの細かい絵柄を見ることができない。

このパズルを作るのを手伝うのがコーチ(他に良い名称が浮かばないので、今は敢えてこれを使いますが・・・)。

そう考えるとコーチというのは、誰でもなることができる。
誰でもコーチになれるけれど、例えばそこに嫉妬心があったらどうだろう?
自分より先にパズルができそうな同僚に貴方は本当にコーチになれるだろうか?
人のパズルのアドバイスをしていれば、自分のパズルの完成が遅れるかもしれない。

そして、本当のコーチになるには、クライアントの話の聞き方、質問の仕方、そしてフィードバックの伝え方に対しての技術を持っていることが必要である。
これらのやり方によっては、クライアントのモチベーションをかえって下げたり、イライラさせたりすることがある。
これではコーチとは言えない(貴方の職場の上司は、そういう意味ではコーチではないかもしれない)。

全体像が見えずにイライラしているクライアントにどうすれば、今持っている視点を変えてパズルを完成に近づけられるか、パズルのはめ方を全部教えては、コーチではない。
離れて見ているから、もしくは自分がやったことのあるパズルなら、簡単にアドバイスができるように感じる事もある。

でも、それは魚の釣り方を教えずに、釣った魚をやることになる。
それではその魚を食べてしまったら、もうおしまい。

私のやっているのは、このパズルのお手伝いだなといつも思う。
一人でピースをとっかえひっかえやっているよりも、全体像を見ている人と一緒に考えると早いし、モチベーションの維持がずっと易しくなる。
例えば端っこから徐々に埋めて行くとか、そのピースの塊とこのピースの塊をくっつけたらどう?なんていうアドバイスも時にはするが、どうも上から指導するというようにはならない。

なぜならピースを動かせるのは、本人だけでそのピースを動かす原動力は、結局のところ本人の意欲だけだから・・・・。

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    2016.12.07

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コメント

  1. kijiko

    「コーチ」の名称、私もまだピンときてないです。
    自分の固定概念のせいなのか、あまり好きな表現でないのか。。。 
    パズルの考え方、面白いですね。
    「ピースを動かせるのは、本人だけ」、ドキッとしました。
    私の中では、油絵のイメージ。
    歩んできた人生は消しゴムで消せないけど、
    油絵の絵の具だと重ねて色に深みがでる。そんなイメージ。
    パズルの考え方を加えて深みを増したくなりました。

  2. yoshikoo

    Kijikoちゃん、コメントありがとうございます。
    油絵ね。うーん、深い。
    本当に何か良いネーミングがないかしら?っていつも思います。

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