私の職務経歴書2:ベンチャー時代 その1

20歳から始めた派遣生活も5年の歳月が流れ、気がつけば25歳となっていました。

子供も5歳となり、いわゆる保育園の年長さん。そろそろ社員にならないと社員での仕事の口がなくなるのでは?と、唐突に思い始めました。

(今、考えると当時なぜ急にそんなことを思いついたのかよくわかりません。派遣先であちこち社員にならないか…とお誘いをいただいていたのにも関わらず、どうしても社員になるのはイヤだったのに…。←この話は、「箱のはなし」に書きましたので、興味のある方はそちらをどうぞ)

さて、では社員で何をやろうかな?
IT系の仕事に就くか、それとも最後に派遣でやっていた証券関係の仕事に就くかという選択肢で考えていました。

最後にいた派遣先は、今は亡き四大証券の一社でした。
そもそもの仕事は、社内のパソコンをMacからWindowsに全て入れ替えるという仕事でした。
PC入れ替えプロジェクトが終わった後も気に入られて、なぜか証券アナリストのアシスタント的な仕事をすることになりました。

毎日英字新聞を含む7誌ほどの新聞を読んで、ファンドの持っている銘柄のニュースをスクラップして、証券市場が終わったあとにレポートをまとめるという仕事で、部署はいわゆる閑職の部署でかなりのんびりしており、上司はとても親切で経済や株についてあれこれ教えてくれ、暇な時間はその手の雑誌を読んだりしていることもOKでした。
私が比較的勉強熱心だったこともあり、本来なら社員じゃないと行かないはずのアナリスト向け説明会にも随分と行かせてもらいました。

1990年代前半の派遣時代は、みんなあまりキリキリしていなくて、職場で時間があれば大学の勉強もしていいよ〜とか、色んなことを教えてくれる上司(主におじさま方)がいて、今考えると良い時代でした。
生産性なんて言葉がやたらに持ちだされることもなくてね。

毎日株の動きを見て、社会の動きに連動して株が上下するのを見ることはわたしにとってはとても興味深いものでした。
「そんなに熱心なら…」と、派遣先の上司から、正社員で受けてみないかとある外資系投資顧問会社を紹介されて、話を聞いてみましたが、そこの募集は株価の動きを統計と計算式によって分析するタイプのアナリストの募集で、私がやっていたような社会の動きやその会社の動き(ファンダメンタルズ)を見て分析するというタイプのものではなくて、残念ながらあまり興味も持てませんでした。
オフィスに一歩入った途端、THE外資!という感じだったのも、かなり気後れしたのもあります。

どうも突き詰めてやるほどは、証券系は好きでないのかも・・・。と考えているうちに電車の中吊りで、IT適職フェアの広告を発見。(今でもよくありますよね?あれです。)
入場無料、予約必要なしということだったので、仕事の帰りに立ち寄ってみました。

ところが、こちらはエンジニアのリクルーティングの場で、私のようなオフィスレベルのインストラクターなんて、全然お呼びじゃない、場違い…ということがすぐにわかりました。
会場を出ようとしたところ、あるブースから声を掛けられ、その会社にトレーニングのビジネスがあるので、ぜひに…と呼ばれ、面接に行くことになりました。

面接に行ったところ、トレーニングの仕事もあるのだけれど、できれば社長の秘書をメインで、それからプラスして広報の仕事をして欲しいという話になりました。その時提示された年俸が500万で、年収300万台だったのが、一気に跳ね上がり、そりゃぁすごい!と思って、即決でITベンチャーに就職することにしました。

入社後、しばらくするとトレーニング担当者がいなくなってしまったこともあって、社長秘書とトレーニングの両方を担当することになり、これがそれ以降の私のキャリアのかなりの部分を占めるITエンジニア教育との出会いでした。

トレーニングを立ち上げるという計画はできているものも何もできていない状態で、トレーナー以外の業務。スケジュールの線引き。営業活動。教育を提供するベンダーとのオペレーション。ビジネスプラン作成まで全部わからんままこなすという日々が続く一方で、片側で社長秘書業務。

来客と外出の極端に多い社長で、一日の平均アポイントは5~6件。スケジュールの調整とお茶汲み+細かな秘書業務だけでほぼ8時~17時は終了。夜はトレーニングの仕事と言う感じで、毎日22時まで会社にいるのは当たり前。
そこから同僚と飲みに行って・・・という日々が続き。

当然の結果ではありますが・・・・・、ある日再婚した夫がぶち切れ。これが続けばマジで離婚か・・・というところまで行きました。当時、夫は育児だけでなく私の祖父(90歳超え)と同居もしてくれており、元気とは言え、それなりに祖父の世話も必要で、そのあたりも全部夫任せでした。

さすがにこのままではまずいと思い、業務をどちらかに絞ってもらうように会社に交渉。秘書業務を派遣の女性に代わってもらうことになったのはよかったのですが、トレーニングの仕事は秘書業務がなくなったから楽になっただろう・・・とどんどん拡大。「仕事ができるようになったご褒美は、もっと困難な新しい仕事が与えられることなんだ」ということを痛感。これは私のキャリア観にその後大きく影響しました。

・・・・・が、この頃から会社の業績悪化で、朝令暮改の日々が続き、すっかりモチベーションが低下。社内の空気も悪くなってきてしまい、辞めたいなー、後任いないしな、そもそも全部一人でやっているから後任どころか、その仕事分かる人誰もいないしな・・・なんて考えているところに、新しいトレーニング専任の上司が現れたので、これは良いタイミングと思って、退職しました。

今、考えると子持ちでベンチャー企業のスタートアップに関わるというのは、無理がありました。
この時期のベンチャーは、家を建てることは決まったが、木材から何から何もない…という状態で、材料のかき集めから、着工までとにかくやることが山ほどあって、木材でも何でも拾って来い…という時期、とにかく手を動かせる人が欲しい…という時期です。
だからこそ、楽しいのですが、私生活もプライベートもありませんので、万人におすすめできる職場ではありません。

退職はちょうど入社から一年でした。その後この会社は私が辞めてから半年後ぐらいになくなってしまいましたが、今でも元同僚達とは仲が良いし、皆が色んなIT企業で働いているので、アライアンスや営業活動、それから情報収集といった面で、お互いに助かる‥という関係が続いています。

色んな意味でこの会社は今の私の基盤となっているな、とよく思います。
成果はともかく今までの中でもよく働いたと会社だと思うし、とにかく仲間に恵まれて楽しい会社でした。

・・・・が、辞めるときには不思議と未練は全くありませんでした。(未練のあった会社なんてないけど・・・)
まぁ、そんなこんなで正社員第一回は、幕を閉じました。

※この記事は2003/08/23に書いたものをベースに2016年3月に加筆修正したものです。

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