年功序列と能力差

自分の所属する組織の人事評価というのは、当てにならない・・・・と思いつつ、そうそう「人事は他人事と読む」なんていうほど割り切れないものでもある。

「将来は社長になりたい」という新入社員は9%で過去最低という調査があったが、質問項目を変えて「同期よりも昇進したいですか?」「同期と同じぐらい昇進したいですか?」「同期よりも下の地位にいることを望みますか?」という質問であれば、きっと「同期と同じぐらい昇進したい」という回答に集中するのではないか、どんどん出世するために、バリバリ仕事をする・・・・というガツガツ系は、今の時代減っているのだろうが、かといって同期やら周囲やらよりも、一歩遅れて昇進がやってくるのも困るというのが本音だと私は睨んでいる。

どうして困るのかというと、一応、昇進の建前というのは、「仕事ができる人」が昇進することになっているからである。
実態は必ずしもそうではないとしても、昇進しない=仕事ができないという図式を感じるようになっているので、いくら自分では割り切っていても、正直居心地があまり良いものではなく、なんとなく知らず知らずのうちにでも昇進を気にさせられるようになっているからだろう。

でももしも、昇進の決定がが自分の能力とまったく関係ないとしたら、どうだろう?

そんな例を発見した。
佐々木閑氏の「日々是修行 現代人のための仏教100話」によれば、お坊さんの序列というのはまったくの年功序列制度が取り入れられているらしい。
「坊さんになってからの日数」だけで決まるそうである。

まじめでみんなに尊敬されて、どんなに素晴らしくても、お坊さんになって日の浅い人は下座である。
逆に、修行などしないぐうたら坊主でも、年さえとれば上座に座る。
そんないい加減な決め方では皆が納得しないのではないか、と思うかもしれないが、かえってそれだからこそ誰もが納得する。
上下関係が、本人の資質や能力と関係のない、出家してからの日数というつまらない基準で決まっていると、上下関係そのものがつまらないものになる。
上座に座ることに意味がなくなるから、人を押しのけて上に登ろうという欲望が起きない。
序列は単に、集団運営を円滑化するための方便にすぎない。

年功序列というのは、心の安定のために案外良いシステムだったのかもしれない・・・・。

人を評価する、人に評価される…どっちも結構なストレスだと思うのだ。

朝日新聞に二年間掲載された仏教についてのコラムをまとめた本。一話ずつが短くてとても読みやすい。絶対神を持たない仏教というものについて易しく学べるうえに、考えさせられる部分もたくさんある一冊。
仏教のもつシンプルさがとてもよくわかります。

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