2021年上半期:読んだ本 ベスト5

毎年、1年の終わりにその年に読んだ本ののベスト5の記事を書いています。

2020年:読んだ本 ベスト5

昨年の2020年は上記の記事によれば、284冊(再読含まず)の本を読んでいるようです。
2019年までは、200冊を超えることはなかったのですが、恐らくコロナ関連でお客様訪問やコーチングの対面セッションも減り、さらに外に遊びに出ることが少なくなったため、本を読む冊数が増えたのだと思います。

今年も上半期で143冊読了してしまっているので、このペースだと昨年と同じぐらいの本を読み終えることになりそうです。
読了数が300冊近くなってくるとそこからベスト5を出すのは、なかなか難しくなるので、今回は上半期と下半期で分けることにしました。

以下は、2021年に出版された本ではなく、私が2021年1月~6月に読んだ本のベスト5ですので、ご注意ください。

2021年上半期ベスト5

5位 「『罪と罰』を読まない」

新聞書評で取り上げられていたため、この本の存在は知っていました。岸本佐知子、三浦しをん、吉田篤弘、 吉田浩美 ってどれだけ豪華なメンバーなのよ!と思いましたが、さすがにここまで読書の幅を広げるのは‥と、諦めておりました。

ところが6月に佐藤優氏のドストエフスキーの入門講座に参加するため、ドストエフスキーの五大長編にチャレンジすることになり、ドストエフスキー長編、新潮社の翻訳はキツイぞ~と思っているそんな折に、地元の図書館でふらふらしていたときにこの本に会ってしまいました。

読んでる場合じゃないなと思いつつ、これを読めば、ドストエフスキーを読むのが加速するのでは‥と思い、手を出してしまいました。

ドストエフスキーの「罪と罰」って有名だけれど読んだことないよね‥という4人が、いくつかのページを少し読んでは、その内容を想像し語り合うという読書会(?)なのですが、これがもう抱腹絶倒の面白さなのです。

さらに普段は皆さん本の書き手でありますから視点も、読書家という視点だけでなく、書き手側からの視点もあって、なるほど作家ってそうやって物語を考えるんだ‥というのも読んでいて興味深かったです。

「罪と罰」を読んだことのある人は、まず間違いなく笑えますし、読んだことのない人はこれを読むと「罪と罰」を絶対読みたくなるという本です。

こんな読書会をやってみたい気もしますが、できれば運営はどなたかに任せて、単なる参加者になって、想像して勝手なことを言う方に回りたいです。

三浦:(前略)三人称ではあるけれど、基本的にラスコの視点が中心じゃないでしすか?そういえで、次々といろんな人物が登場し、「えっ?マメ父はソーニャのお父さんなのか!」「ソーニャと『ばあさんズ』の片方とは友だちだった!?」といった具合に、壮絶な偶然展開が連続する。でも、それってラスコの視点で読んでるから驚けるんですよ。

篤弘:なるほど、そうか。

岸本:ドストはどのへんまで設計図を引いていたのかってことだよね。「あっ、この人ととこの人は知り合いだったことにしちゃえ」って筆の勢いで書いていたり(笑)。だって、新聞の連載でしょう?

4位 「月とコーヒー」

図書館でお借りしたら、装丁にも文章にもすっかり惚れ込んでしまい、買ってしまいました。
この本については、好きすぎてあちこちに書き散らしてしまいました。

旅と冒険

2人の時間と1人の時間

「月とコーヒー」というタイトルは自分が小説を書いていく上で指針となる言葉のひとつです。おそらく、この星で行きていくために必要なのは「月とコーヒー」ではなく「太陽とパン」の方なのでしょうが、この世から月とコーヒーがなくなってしまったら、なんと味気なくつまらないことでしょう。生きていくために必要なものでないかもしれないけれど、日常を繰り返していくためになくてはならないもの、そうしたものが、皆、それぞれであるように思います。場合によっては、とるにたらないものであり、世の中から忘れられたものであるかもしれません。
しかし、いつでも書いてみたいのは、そうしたとるにたらないもの、忘れられたもの、世の中の隅の方にいる人たちの話です。

「月とコーヒー」のあとがき

うまく言えませんが、人生の後半戦に入った私は、ここで言うところの「とるにたらないもの」ばかり、心惹かれるようになりました。暮らしも「太陽とパン」から「月とコーヒー」が中心になってしまった気がします。
これがいいことなのか、悪いことなのかよくわかりませんが、私としてはようやくここまでたどり着いたという気がしています。

3位 「わたしを空腹にしないほうがいい」

本の表紙画像

1994年生まれの若い歌人の方が書いた歌と食べ物・料理にまつわるエッセイ。
若い人を見て、羨ましいと思うことは日々の中でほどんどありません(若い人から見ると、意外に思われるかもしれませんが…)、あんなに面倒くさいこともう2度とやりたいと思いません。何しろ若い自分って色々と妄想とか欲望とか激しくて疲れるんです。自分からは逃げることもできませんし‥。

…が、この本を読むと、そういう若い面倒くさい自分も良かったような気がしてきます。そして若い人がちょっとうらやましくなる。私にとってはそういう本でした。

ISBNがついていないためなのか、Amazonでは手に入れることができませんでした。
作者の工藤玲音さんは、今芥川賞候補になっているそうですから、受賞されたらもっと入手しやすくなるかもしれませんね。

菜箸を握るのが楽しいと思えることは、きっとすこやかに生きていくうえで武器になると信じている。

以下の記事でもこの本については触れています。

Weekly Review – week11, 2021

2位 「知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ」

「独学大全」ですっかり有名になった読書猿さんのブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」が、以前から好きで読んでいました。
その中で、紹介されていて以前から持っていたのですが、なぜか長いこと読めず一度手放した本です。Kindleのお薦めリストに出てきて、久しぶりに思い出し、読んでみたところ、以前と違って今回は集中して短期で読むことができました。

恐らく今の自分に足りないだろうものを明確に説明してもらえたのと、どうしてそのような思考に陥ってしまうのか、陥ってしまわないようにするにはどういうポイントに気をつけるべきか?というのがよくわかったためだと思います。

また、この本を読むと単眼思考法に陥りやすい会議を、どう進めていけば複眼思考法に変えていけるかも、なんとなく見えてきました。

一度読んで終わりというタイプの本ではなく、何度も繰り返し読む本になりそうです。

毎年、卒業論文のテーマを決める時期になると、適当なテーマを見つけられずに頭を抱える学生が出てきます。関心を持つ領域やテーマをおぼろげながら見つけても、それを的確な「問い」のかたちで表現できない学生もいます。いったん問題を与えられれば答え探しは得意なのですが、自分で問題を探して解くとなると、それまでの教育や受験で培った能力だけでは太刀打ちできないのでしょう。
しかも、気がかりなのは、問題が与えられた場合にも、学生たちは、どこかに正解がある、と思っているふしがあることです。学生たちと議論をしていても、性急に答えを探したがる場面が少なくありません。素直さ、まじめさの裏返しなのかもしれません。じっくり考えるより、簡単にどこかに答えがあると思ってしまうのです。

1位 「治りませんように――べてるの家のいま」

コーチという仕事をしているとよく聞かれるのが、「コーチング」と「カウンセリング」の違いです。
どちらもクライアントの話を聞くというスタイルは同じですが、一番異なるのは、コーチングというのは「治療」ではないということです。
とは言え、そういった混同もあるぐらいですから、やはり手法は似ているところが多く、カウンセリングのほうが圧倒的に歴史も長いため、精神医療を学ぶことはコーチングについてもヒントになることがたくさんあります。
「べてるの家」については、精神医療の本を読んでいるとあちこちに出てくるため、いずれ読もうとは前々から思っていましたが、今回ようやくご縁がまわってきました。

北海道浦河の地に共同住居と作業所をかまえ、通常であれば入院措置もしくは投薬が取られるであろう、精神障害者の人々ができるだけ当事者同士で助け合いながら、自立した暮らしを行っているのがべてるの家です。
この本では、そこでは具体的にどんなことが起きていて、そこにいる当事者としての患者たちと医療関係者がどんなことを考えているのか、というようなことが丁寧に書かれています。
今回読んでみてこの本は、精神障害者の生き方を書いているだけではなく、人間とはどういう生き物でどういうことを大切にしているかが書かれている本だと感じました。あまりに考えさせられることが多かったので、簡単な感想などとても書けない本のため、このあたりで。

精神医学の世界ではこれまで、幻聴はまともに語るべき対象とはされてこなかった。とにかく忌むべきもの、なくすべきものであり、それを消すために患者には強い薬が処方されるのが一般的だった。ところがそうすると患者はしばしば考えることも、ついに働くことすらできなくなってしまう。そんな無理はやめて、幻聴がどうせなくならないのなら、いっそ仲良く暮らすことはできないかと考えたのがべてる流だった。

よくなる患者、つまりかんたんに再発することのない患者は、医者と「一対一」の関係のもとで回復しているのではない、ということだった。いろいろな人のお世話になってよくなっている、あるいはあれこれの人間関係を作りだし、そのなかで自分を取り戻していくという過程が、そこには見えてきたのである。そういう患者は退院するとき、いろいろな人に、意外な人にまで、「お世話になりました」「おかげさまで」とあいさつしている。先生にだけお礼をいって退院するののは、だいたい再発して戻ってくる患者だった。そこに、大事なことがみえてくる。

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