逗子日記 二〇二四年九月 雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ)

昨日から能登半島の大雨について、あちこちのSNSに動画があげられており、どうしてまたこの地域に…と暗澹たる気持ちになる。東北の震災もそうだったけれど、現時点ではただ観ていることしかできない立場でこれらの動画を観ていると、精神的に不安定になりやすくなるので(私に限らず誰でもだ)、あまり目に入れないようにするが、それもそれで正しいのだろうか…とまた考える。

先々週から風邪をこじらせている夫は、調子を戻しつつあるものの咳が抜けずという状況。
私は私で先週半ばの近所への短時間の外出だったにもかかわらず熱中症となったのか、目眩がひどくなりそれ以来最低限のことだけして寝たり起きたりだったのだが、ようやく今朝から布団をあげることができた。
夫婦で調子が悪くなってしまうと、双方料理が適当になるのであっという間に冷蔵庫の食材が痛みだす。

朝から台所にこもる。
まずは今にも崩れてしまいそうな、いちじくを甘露煮に。
それから、冬瓜を大きな包丁で切り、ワタを処理して、皮をむいて下茹でしておく。
この皮をむくのがとにかく大変だけれど、これさえ慣れればコスパは抜群に良い食材。

それから、豚の角煮を仕込む。
こんなに何度も下茹でしたレピシって初めてだ。ものすごく時間がかかる。これで仕上がりがホットクックと差がなかったらショックだ。

火の番をしながら、ノートPCで滞っている仕事を少しずつ片付ける。
取引先とのプロジェクト用のチャットツールにあれこれ投げ返したいが、三連休中日にそんなことをしたら多分色々とややこしいんだろうな…と思うので、連休明けにまとめて投げるようにメモを書いておく。
別にその場で返事がほしいわけでも、着手してほしいわけでもなくて、ただ流れに乗って投げ返して対応は連休明け以降で全然かまわないんだけれど、それも今や駄目らしい。

外は相変わらず、雨が降ったり止んだり、今日はとにかく風が強くて風速10メートル〜11メートルという、都内に比べるともともと風の強いこのエリアでもここまで風が強いのは珍しい。
なにか飛んできて窓が壊れるのも嫌だし、雨で汚れるのも嫌なので雨戸を締めっきりにしているけれど、それはそれで家の中が暗くて心身ともに弱っているときには、なんだか鬱々とする。
煮物の匂いに随分と救われる。

娘が副鼻腔炎と突発性難聴で耳鼻科にかかったということで、あれこれやり取り。
こういうときスープの冷めない距離というのは、やっぱり便利だなと思う。なにかあれば少しだけでも、手伝いがいるといないとでは随分と違う。

1日のうちに最低30分ぐらい本や新聞・雑誌の活字を読まないとどうもエネルギーが枯渇しやすい。
なんでデジタルだと駄目なのか、自分ではよくわからないけれど紙じゃないと元気がでない。
私の場合、デジタルだとかなり浅いトピックしか読めないから、そのせいかもしれない。

図書館から予約で回ってきた最相葉月の「母の最終講義」を読む。
この人のノンフィクションは何冊か読んでいて、まだ読めていないものも読みたい…と思いつつ、いろんなものに目移りして読めないままになっている作品も多い。
借りてきた本はエッセイのため読みやすいが、いろんな媒体に書いたものをまとめてあるため、トピックが色々あって、そのたびに「これも読みたい」「あれも読みたい」「そっちも読みたい」となって困ってしまう。
そもそも、この人自身かなりいろんなテーマについて本を書いていて、守備範囲が広い…というよりも、常に違うところに旅に行ってしまい、ファンとしては今度はそっちですか!と驚きながら着いていき、そのジャンルでまた読みたい本が山ほど出てきてしまうという嬉しいような困ったような…を繰り返すので、うかつに読めない。
今回はエッセイなので、まだ大怪我せずに済み何やらホッとした。

晩ごはんは、豚の角煮、トマトとワカメのナムル、納豆揚げ焼き という居酒屋メニュー。
病み上がりなのに、ちょっと休憩取らなすぎたかも…。

<昨年同時期>

逗子日記:二〇二三年九月 雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ)

昨年同様、くるみ(ミニチュアシュナウザー 6歳)がヒート(生理)に入り、不機嫌ではしゃがない。
いつものこととはいえ、やっぱり寂しい。

昨年の日記を読み返すと、卒業制作に対する当時の取り組みがあれこれリアルに思い出され、ああこの頃からもっと手を動かしていれば随分と後半が違ったのになぁ…としみじみ思う。
この時期にたたき台すらできていないのだから、卒業制作自体がたたき台になってしまったのも当然なのよね。

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