こんな人になりたい 続き

先日書いた「こんな人になりたい」に関しては、いくつかコメントもいただき、さらに数通Mailをいただきました。

この文章に限らず、その人の読んだ文章をどう捉えるかというのは、読み手に委ねられていると私は思っています。
勿論、著者の意図はそこに存在すると思いますが、著者の意図と読み手の捉え方がずれていてもそれは「間違い」というものでは勿論無いし、当然に起こり得る出来事だと思っています。

また読み手の側も同じ文章が、読む時期によって全く異なる意味を持つことはよくあることだと思います。(だからこそ、「魔法の杖」のような本も存在するのではないかと思います)

さて、それでは私はこの文章をどう捉えて、何故この漁師のような人になりたいと思っているのかということについて、ここではちょっと書いてみたいと思います。

私がこの漁師が良いなぁと思うのは、彼が自分にとって大切なものをよくわかっていると感じるからです。
一方、MBA氏のほうは、人生の成功を手に入れたいというのは明確なようですが、それを手に入れるには、この方法しかないと思い込んでいるようにも見えますし、この道を通ることの出口に人生の成功が待っていると思い込んでいるように私には読めました。もっと言うとそこに到達するまでの手段(道のり)が本当は好きなんだろうなぁと思います。

私自身は、(何人かの友人からMailでの指摘もありましたが)間違いなくこのMBA氏のタイプに近い思考パターンを持っています。
私は、手段を考える楽しさについついはまり込み、本当は何を手に入れたかったんだっけ?となってしまうことがしばしばです。

例えば、私は子供と二人で母子家庭をしていた際に、子供のために経済的な安定を何とか身につけたいと考えて、自分でできる範囲のスキルアップを続けました。それに伴ない、当初仕事を始めたときよりもずっと経済力を身につけることができました。
でも、気がつくと子供の起きている顔を見るのは、毎日1時間程度でした。

そうして、私は手に入れた経済的安定を失うのが嫌で今考えると、本末転倒と言うようなことばかりしていました。
仕事は毎日のことです。生活のために仕事はしなくちゃいけない。
だったら、できるだけ楽しんでやろう、とあれこれやっているうちに、仕事はすっかり楽しくなり生活は滅茶苦茶。
どうも私はこういうことが起きやすい。

だから、私はこの話を読んで、この漁師のような地に足のついた人でありたいなぁと感じました。
そうして、すぐそのことを忘れてしまう間抜けな自分のために、備忘録としてこの話をブログに書いてみました。

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コメント

  1. ピレネー

    この話を最初に読んだとき、この作者の意図は何だろうというよりも、まず先に、前提が変だ!と思ったのを思い出したので書きます。
    「子供と遊んだり、奥さんとシエスタしたり」ということがありますが、同じことは引退した後はできないはずです。なぜならば、子供は育ってしまうので、少なくとも「子供と遊んだり」というのは、今しかできないことのはず。
    もちろん、孫と遊ぶとか、若い奥さんもらって、さらに子供をつくるなら別ですが。
    子供がいて、それでもハードワーカーでいる場合、一番悩むところは、子供はすぐに育ってしまい、子供の一番可愛いときに多くの時間を共にすごせないのはつらい、ということなんだと常々思っています。
    何がよいかは、それぞれが選ぶことですが、選択できるのは親だけで、子供は選択できませんからね。そのあたりも含めて選択する側の責任というか、心構えというか気合というか、きちんと考えていたいとは思っています。
    選択できる幸せも共にかみしめながら。

  2. yoshikoo

    >選択できるのは親だけで、子供は選択できませんからね。
    確かに、その通りですね。このコメントにはうーん、と唸ってしまいました。気がつかなかった視点です。
    仕事も今頑張らないとまずい・・・と思って頑張ってきたような気がしますが、最近は子供のほうがそんな気がします。
    なんとなく、自分の仕事にそれなりに自信もついたのか、最近はちょっと控えても、後から遅れは十分取り戻せそうな気がしています。

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