身体で解決

4時起床。
雨は降っていない様子。
天気予報では、1日曇りとなっている。

久しぶりに温かいミルクティーを淹れる。
朝目が覚めて最初に考えるのは、「さて、今朝は何を飲もうか?」だ。

朝のセッションで後味の悪い話を聞き、クライアントの痛みや悲しみにシンクロしてしまった。
こういうことが無いようにある程度訓練を積んでいるつもりでいる。
なんというかセッションと自分の内面は間にシャッターみたいなものがあるはずなのだが、時々シャッターを閉め忘れるのか、話のショックが大きくて、シャッターが開いてしまうのか、こうしてモロかぶりしてしまうことがある。
そして鉛のようなものを持ったまま、Zoomの会議に入る。

気分がふさぎ込んだまま、ランチに酒盗のパスタを作り、デザートのヨーグルトを食べる。
終わってまたZoomの会議に入って、解決の緒が見えてきた良いミーティングだったのだが、まだなんだか引きずっている。

こういうことがあると、私はコーチにまったくむいていないのではないか‥と考え込む。
いやいや、気分が暗いとろくなことを考えない。どう浮上するのか考えないと。

台所に掃除機を掛けて床拭きをして、スクワットを連続50回して、瞑想を20分する。
身体を動かしたらかなり気持ちが浮上した気がする。
頭の問題は身体で解決するのが最短なのかも。
自宅でするのが仕事だけで、家事がなかったらかえって辛いかもしれないと時々思う。

大学の課題に取り組み、頭が煮詰まったところで、昨日図書館から借りてきた「その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。: 古代ローマの大賢人の教え 」を読み始める。

この本が参照している岩波文庫の「人生談義」を読みたくなるのだが、これがまた古本ですごい値段がついている。
再販してくれないかなぁ。。。

そうこうしているうちにポチ(夫)が帰宅したので、コーヒー豆を挽いて、コーヒーを淹れる。

これでまた気力回復して、依頼されたWebサイトのコンテンツ見直し作業に着手。
その間にポチとくるみ(ミニチュア・シュナウザー)は散歩に出かける。
17時を回ったので、お風呂に入ってリラックスして、生産性と結びつくようなことは全部忘れる。

食事ができるまで、図書館から回ってきたポール・オースターの「サンセット・パーク 」を読む。
新聞の書評欄で知って、予約した本だ。

翻訳小説の出だしの入り込みにくさが好きだ。
やたらに枝が飛び出している山道を歩くような感じ、面倒くさい、鬱陶しいと思いながら、歩いているうちに気がついたら気になくなり、無心に歩く感じが好き。
その前に、枝が気になり過ぎて、挫折することも多い分、歩くのが楽しめるようになったときの嬉しさは、日本語で書かれた小説にはない。

ややお疲れ気味なので、この日は晩酌なしの晩ごはん。

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  1. 2020.07.23

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