今も昔も

3時起床。
犬の飲み水があるかな?と突然気になって起きたら、そのまま起きてしまった(水は少なめではあったが、ちゃんとあった)

ブログ記事をアップして、温かい紅茶を淹れ、そこに蜂蜜を投入。
ちょっと身体が冷えている感じがする。
自宅の紅茶は、麦茶替わりにアイスティーを常備しているのもあって、結構大量にティーバッグを使う。
色々と試したが、ここ数年はJanatのEarl Greyに落ち着いている。

朝、スマホを見たら娘夫妻から初孫・チビ猪くんのお食い初めの写真が送られてきていた。
お食い初めは知っていたが、生後100日でやるものだとはよくわかっていなかった。

私の娘のときは、生後100日の時点で多分戸籍上でもシングルマザーになってそう経っていなかった‥。
お食い初めはもちろん、やっていない。
これはシングルマザーで忙しかったからじゃなくて、そもそもそういう儀式を知らなかったからだ。
私の実家はとにかくこういう冠婚葬祭的なものにビックリするぐらい無知なのだ(もちろん、それに気づいたのは随分後である)

先日、半日ぐらいチビ猪くんのお世話に逗子に行って、そうかこのぐらいの子供いると子供の世話以外ほとんど何もできないな‥と思った。
若くて体力のある時期なら、最低限の家事ぐらいはできたかもしれないが、今はとても無理。
寝かしつけて、一緒に寝てしまったが、ちょっとでもチビ猪が動くとすぐに気がつく。そして「もう一度寝るんだぞ・・」と念じながら背中をトントンする。
ほとんど音を立てない動きで私がわかるんだから、育児中の母親というのは、どれだけ眠りが浅くて細切れなのか・・としみじみ思う。

ホルモンバランスで産後にメンタルが‥とよく聞くが、そもそも睡眠時間がおかしくなると、老若男女関係なくメンタルはやられるものだ。

自分の育児のときは、じゃぁシングルマザーですごく大変だったのか‥というと、あまり記憶がない。
これは多分、パートナーがいないので家事について、自分と子供が死ななければいいというレベルでいけたのと、パートナーがいれば期待することが、そもそもいないから全く期待することがないため、イライラすることがなかったからだと思う。

まぁ、その前は義実家同居で乳児見ていたのだから、そっちのプレッシャーやら気遣いに比べたら、恐ろしいぐらい木造アパートで送るシングルマザー生活は楽だった。
育児の相談はなんでも保育園に聞けたし、保育園の先生方もとても親切だった。

パートナーというのは一緒に家事と育児をやってくれればとても助かるが、金だけ稼いでくるなら、全くいらない‥と私が思うのは多分こういう経験があるからだろう。

ま、そんなわけで娘にお食い初めはしてあげられなかったが、娘は幸い料理上手な2番目の夫に食育され、今はフレンチシェフの旦那さんと暮らし、かなり食に恵まれているのだから、まぁ、いいでしょう。

「これまでの教育では、人間の頭脳を、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさんのものが詰っていればいるほど結構だとなる。 
せっかく蓄積しようとしている一方から、どんどんものがなくなって行ったりしてはことだから、忘れるな、が合言葉になる。ときどき在庫検査をして、なくなっていないかどうかをチェックする。それがテストである。 
倉庫としての頭にとっては、忘却は敵である。博識は学問のある証拠であった。ところが、こういう人間頭脳にとっておそるべき敵があらわれた。コンピューターである。これが倉庫としてはすばらしい機能をもっている。いったん入れたものは決して失わない。必要なときには、さっと、引き出すことができる。整理も完全である。
  コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として使うことに、疑問がわいてきた。コンピューター人間をこしらえていたのでは、本もののコンピューターにかなうわけが…」

(『思考の整理学 (ちくま文庫)』(外山滋比古 著)より)

上記の文章は、朝の入浴時に読んだもの。
「コンピューター」という言葉を「AI」に変えれば、そのまま最近見かける記事になる。
この本は1986年、私が15歳のときに出版された本だけれど、状況は変わっていない。
古い本を読んでも、先が見えない時代‥というのはいつも出てくる。
VUCAなどという言葉も数年前からあるけれど、不確実で激変する社会というのは、多分その時代を生きている側から見ればいつだってそうなのだと思う。
後から眺める立場になるから、あの時代はこういう空気でこういう流れになったと言えるだけで、その場の空気の中では多分気づけないのだろう、それこそ空気のように。

このところの流行の「デジタル・トランスフォーメーション」というのはAIよりも具体技術を指し示さない分、余計に首をかしげることが多い。
私が1991年に仕事を始めて以来、どこの職場でも常にデジタル化は推進されてきたと思うのだが‥。

逗子の物件を見に行き、帰りに来週末にオープンする義理息子のお店に立ち寄る。
工事も遅れながらもなんとか目処がついたようだ。
雇われて料理人をするのと何から何まで自分で決めていかなくてはならない経営者兼料理人になるのは、随分と違うことだろうと思う。

フリーランスもそうだけれど、得意なことだけしていれば良いわけではない‥というのは、人によっては結構辛い。
職場引退後に自分で色々やってみたら、ITなり経理なりが苦手すぎて、やっぱり再就職したというケースは少なくない。
全部自分の裁量でできて、全部見渡せるというのはそう良いことばかりでもない。

夜は久しぶりに外で熱燗。
新型コロナウィルスの再度の感染広がりで、飲食店の営業は22時までで‥とまたアナウンスされた本日。
お店の中は、満席にするわけにもいかず、相変わらず間引き営業だが、相変わらず生ハムもイタリアの食材をうまく使ったシンプルなお料理が美味しい。
今晩のお酒は十旭日
やさしい味わいが五臓六腑にしみわたる。

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