いただきものを喜べますか?

先日、ご近所の方から、「親戚からたくさん送られてきたので‥」とトウモロコシのおすそ分けをいただき、その日の晩に美味しくいただきました。

私は数年前まで、おすそ分けとかいただきものとか、人から何かを分けていただくこと、もらうことが本当に苦手で、感謝より先にまず思うのは「まいったな‥」でした。

特に困ったのが、生鮮食品。
当時の私はまったく料理ができず、料理はすべて当時の夫がやってくれていました。
彼は何でも作れる料理上手でしたので、何をもらっても料理することはできるのですが、その日に食べたいものを作りたいというタイプで、食材を予めまとめて買っておくとか、作り置き惣菜を用意しておくとか嫌いなタイプ。

予告があるものは問題ないのですが、突然もらったおすそ分けなどは、大抵は喜ばず、一方で私は料理もできないのに食材を無駄にすることが嫌いで、「いいから、なんとかして」みたいなことを言うので、空気が悪くなる場面が多かったのです。

夫婦揃って、いただきものは困ります‥という感じだったので、そう滅多にもらってくることはなかったのですが、ここに私の母が一緒に暮らすことになり、いただきものが急増しました。母も私と同じで、もらってくるだけで何もしないし、賞味期限も気にしない、断ってもくれないので、いただきものが繰り返され、冷蔵庫に溜まっていき、ますます空気が悪くなる場面が増えたのは言うまでもありません。

今なら、もらいものは何でも嬉しいし‥有り難いという状態ですから、変わったものです。

いただきものが苦手な時期というのは、とにかく忙しくて、精神的にも時間的にもパツパツで余裕がありませんでした。
決まった時間に決まった行動を取るということで、1日が回っているため、例外が入ると、それに対応できるリソースの余裕うもなければ、心の余裕もない。

あれどうやって食べよう?いつまでに食べなきゃならないんだろう‥?と考えるのがもう面倒くさい。
それを考えなくちゃと思うともう気が重い。

それからお返しをどうしよう‥というのがあります。これも少し時間が経つと、日々の慌ただしさの中で忘れてしまうので、すぐ何か用意しないと‥となる、これでまた気が重い。

後から冷静に考えると、当時の私はやるべきと思うことを詰め込みすぎでしたし、仕事も断るのが下手でした。夫は夫で、ここから先は絶対家事をやらない‥自分の時間にする‥と決めていて、(これも家庭内の負担があまりに夫が多かったからで、結局原因は私なのですが‥)と意固地になっていたのだと思います。
2人とも少し、自分の線引を緩めれば問題なく喜べたのだと思いますが、忙しいときはそういうことが頭に思い浮かばないのです。

今はすっかりいただきものを喜べるようになりました。
いくつか理由はあると思います。
仕事の選び方、断り方がうまくなったこと、パートナーが時間に余裕のある人なこと、家族にまつわるややこしいことがなくなったこと、

一番大きいのは、多分自分の中で「見切りをつける」というのができるようになったことだと思います。

若いうちはこれがうまくできませんでした。
やりたいことが多すぎたというよりも、「諦める」「手放す」というのがとにかく苦手でした。

とくに「諦める」というのは語感になんとなく、ネガティブなイメージもあるし、一度諦めてしまうと諦め癖がつくのでは‥とか、自分の可能性を狭めるようなことが怖かった気がします。

その後、「ご縁」という言葉をよく考えるようになり、まぁ「縁」があれば、また始めればいいでしょう‥と思うようになりました。

そのあたりの話は、少しコチラの記事にも書いています。

手放すということ

「ご縁」という考え方も気に入っていますが、最近はこの「見切る」というのも良いかなと思います。自分から意識的にそこを切り離したというのが、自分が選択したということが、なんとなくポジティブなイメージだからかもしれません。

年齢に伴う体力・気力的な問題から見切るというよりも、人生の残り時間を意識しだすようになると、自然に「やりたいこと」と「やったほうがいいこと」の区別がつきやすくなり、「やりたいこと」を深めたく、そこに自分のリソースを集中させたくなってきたようです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

  1. 2020.07.18

    鉛筆硯

コメント

コメントをお待ちしております

HTMLタグはご利用いただけません。