逗子日記:二〇二三年五月蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)

5時起床。
朝からスッキリと晴れていて、気持ちが良い。

夫がいないので、くるみ(ミニチュア・シュナウザー 5歳)のお散歩係となり、逗子海岸へ。
久しぶりに、ビーチクリーンとラジオ体操のフルコース。

帰宅して、朝ごはんはホットサンド。(↓ホットサンドの具材)

ホットサンドの具
洗濯機をかけて、大量の洗濯物を干し、あれこれ片付けをしていたら、急に頭痛がしてくる。

これはマズイ兆候だ。
ややこしい仕事だけ、できるところまで片付けておく。

頭痛ーるを見ると、変動激しいようだけれど、気圧の下降パターンを見るといつもならそれほどひどくなるタイプではないのだけれど。

コタツは先週片付けてしまったので、カーペットの上に枕と毛布だけ用意して横になる。
あげたばかりの布団を出すほどでもないはず。

横になって起きるたびに、悪寒がするところを見ると、風邪みたいだ。

今日帰宅予定の夫に、とりあえず寝ます‥とメッセージを入れておく。
16時過ぎに夫が帰宅して、目を覚ます。
12時過ぎから横になっていて、いつもなら30分で目が覚めるのに、これだけ寝られるってことはやっぱり調子が悪いってことだな‥と納得。

仕事の納品も大学の課題も昨日終わったので、ホッとするが、ホッとしたからこそ、風邪などひくのだ…とも思う。
こういうのは若い頃から変わらない。
プロジェクトを終えると、途端にどーっと疲れが出て具合が悪くなり、回復した頃には次のプロジェクトが佳境に入っていた。
あれを充実した生活と呼ぶのか、物事を考える暇のない生活と呼ぶべきか、微妙なところだな。

出張明けで申し訳ないが、立ち上がるとふらつくので、夫に犬の散歩と晩ごはん作りをお願いする。

夫の作った野菜の多い、晩ごはんをいただきながら、そういえば、お昼ごはん食べてなかったな‥と思い出す。
晩ごはんを食べながら、夫の不在時の話をあれこれ話し、夫は夫で出張先での話しをする。

食後にしばらく、図書館から借りてきたアン・タイラーの「ノアの羅針盤」を読み始める。
課題提出が終わるまで、我慢していた本。

一気読みしてしまいそうなので途中で止める。

図書館の予約で随分時間が経ってから回ってきた沢野ひとしさんの「ジジイの台所」の続きを、布団の中で読む。

若い頃は、この人の描くイラストがすごく好きで、挿絵によく使われていた椎名誠さんの本も「本の雑誌」も随分と読んだ。
「ウスラバカ」などと愛情を込めて呼ばれていたが、きっと今なら、それも炎上対象になるだろう。
彼の描く謎の薄幸の美女?とドロンとした目の男たち、独特の描き文字。
どれもこれも哀愁が漂っていて、この人ならではのヘタウマの抜け感に惹かれた。

そのノリで沢野氏のエッセイを読むと、文章がなんだかまともで格好良くて、「そうじゃない」と思った記憶がある。

今回の「ジジイの台所」は、昔の絵にあったヘタウマ感は残るものの、独特の(そして私の好きだった)貧乏臭さが抜けており、文章は格好良さが良い意味で少し削り取られ、軽くなりでもときにやっぱりシリアスで昔の文章の面影があるそんな1冊だった。
老人となった男性たちがどのように台所仕事と関わるべきかの指南書の部分と、自身の家族と台所の関わりについての話や、登山中の食べ物の話(これがまた、なんて美味しそうなことか!)などが随所に入る。

「本の雑誌」は月刊化する前から読んでいたので熱心な読者だったのだと思う、多分当時は高校生だった。
久しぶりに、沢野ひとしさんのイラストをじっくり眺めて、文章を読んで、それこそ10代の当時パチンコ屋でよく顔を合わせていたオッサン(すいません)とひょんな場所で再開したような気分になった。

今年の読了本69。

昨年同時期

逗子日記:二〇二二年五月 蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)

昨年の同時期も体調悪くてウダウダし、本を読んで、そしてコタツの片付けの話を書いている。

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