逗子日記:二〇二四年三月 桜始開 (さくらはじめてひらく)

静かな雨の降る朝。
気圧の変動も激しく、布団から出る気になれないので夫に犬の散歩はお任せ。
ラジオ体操も今日はお休み。

布団にこもりながら、Kindleで読みかけになっていた森博嗣氏の「夢の叶え方を知っていますか?」
の続きを読み、読了する。
この本を読むと、「相田家のグッドバイ Running in the Blood」という小説の主人公はかなり森博嗣氏自身を反映しているようだ。
合わせて読むと面白い。

淡々とどうしたら夢が叶うのかを解説してくれるが、その語り口調に「熱さ」がなく、ものすごく現実的なところがとても面白い。この人ならでは…という感じ。

だいたい、多く聞かれる声は、「どうやったら上手くできるでしょうか?」という質問である。小説であれば、「どんなふうに書けば良いでしょうか?」となる。そういったことを尋ねる方には、「どんなふうに書いたことがありますか?」ときき返すことにしている。「上手くいく方法を教えて下さい」ときかれたら、「上手くいかなかった方法を教えて下さい」と問う。すると、ほとんどの人は、書いたこともないし、上手くいかなかったこともない。まだなにもしていない、試していないのである。

—『夢の叶え方を知っていますか? (朝日新書)』森博嗣著

漢方のおかげか寝込むことはないけれど、寒暖差が激いことに疲れを感じる。
昨日からどうにも寒いので、今日は着物で過ごすことにする。
引っ越し前にまとめて着物を整理をしたかったので、もう着物はしまい込もうと思っていたのだが、着物のほうが圧倒的に体調が良いので、体調優先で。

後手後手に回っていた転居に伴うインフラ関係の手続きをあれこれ終わらせる。
Webで簡単に〜という話があちこちに書いてあるが、ちょっとした例外があると全部電話になってしまう。
UI/UXがひどいことも多く、本来Webだけで済まされそうなものも、結局電話する人が多くなるというのもありそうだ。

入浴しながら、これまた読みかけになっていた「QUITTING やめる力 最良の人生戦略」を読み終える。
原題は、「Quitting: A Life Strategy: The Myth of Perseverance—and How the New Science of Giving Up Can Set You Free』で、タイトルを直訳すると、「やめること〟という人生戦略。忍耐神話の嘘と、あきらめることに関する最新科学で自由になる方法」となり、邦訳タイトルとはニュアンスがかなり異なる。
いつも思うが、この手の本が原題と離れた安っぽい自己啓発書みたいなタイトルをつけるのは何とかならないのかなぁ。

私自身は、「やめる」ことに躊躇しないタイプだと思う。
実際に離婚も複数回、転職回数は業界変更含めかなり多い。
そして、良くも悪くもやめたこと後悔したことがない。
(もうちょっとうまくやれたかも…と思うことはしばしばあるが、それもやめたからこそ思えることだと自認している)

この本に出てくる「やめる」にまつわるデメリットもほとんど感じたことがなく(これは性格的なものも大いにあると思うが)、この本で何度も訴えてる「やめるって決して悪いことじゃないんだよ…」というメッセージに、そんなにみんな「やめる」ことに悪いイメージとか、罪悪感のようなものを感じるのか…となんだか変なところで驚かされてしまった。
日米差なのか、私の半径5メートルが特殊なのか、はたまた私自身が変わっているのか、どうもよくわからなかった。

夫はなんだか午前中から長時間のZoom会議に出ている様子で、お昼は別々。
会議が終わって食材の買い出しに出かけるというので、その間に私はコーヒーを淹れて、京都で買ってきた羊羹を食べながら、読書休憩。

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先週から読んでいる沢木耕太郎氏の「天路の旅人」
第二世界大戦末期に中国大陸を密偵として旅した西川一三という人物を主役に据えたノンフィクションは、旅のスケールがとにかく大きい。
旅の描写や当時の政治的な話も面白いのだが、この西川一三という淡々と生きた人物に個人的に強く惹きつけられる。

大学からまとめて、メールが5通以上届き、何かと思ったら最後の卒業制作の成績が出たという通知だった。スクーリング6回分をまとめて成績をつけるようでシステム的に同じ内容のメールが複数届いてしまうらしいが、全ては同じ点数。
やれやれ、卒業制作にトラブルでもあったのかと思って驚いた。
これで、大学関連は全部終了。

ふと今日は亡くなった父の誕生日だったことに気がついた。生きていれば86歳だった(らしい)。
誕生日と命日は憶えているのだが、何年に亡くなったかの記憶がない。
私が30代前半で娘が中学生だったから、200年代前半のような気がする、確か70歳になる前で、あと少しで70歳だったのに‥と葬儀で誰かが話していたから、亡くなったときは69歳だったかもしれない。

おそらく脳出血で倒れたのが50歳になってわりと早くの時期だった。そこから半身不随となり言語機能もだいぶ落ちてしまっていた、仕事もほぼほぼできなくった。
自己肯定感のとにかく高い人だったので、病後の自分を受け入れられず早く死にたいとよく言っていたし、実際そうなんだろうな‥と思っていたせいか、亡くなったときは悲しかったけれど、まっさきに「パパ、よかったね」と言いそうになって、慌てた記憶がある。
倒れたときに、そのまま亡くなっていたら、本人が望んでいたような太くて短い華やかな人生だったのだろう。

お墓が富山にあり数回しか行っていないが、遠いことより何よりあの父が墓におとなしく居るとはどうにも思えない…というのが大きな理由。
今もどこかの飲み屋で、酒飲みながらホラを吹いている気がしてならない。

昨年同時期

逗子日記:二〇二三年三月 桜始開 (さくらはじめてひらく)

昨年の日記を読むと驚くほど今日の天候と似ている。
とはいえ、今年は桜の気配がご近所にもない。
今の我が家の庭は椿、フリージア、花蘇芳が咲いている。
ご近所には鈴蘭が咲いているところを多く見かけるようになった。

ちなみにここで書いてある信仰の現代中国:心のよりどころを求める人びとの暮らし」は図書館で借りたものは予想通り読み終わらず、内容がみっちりしているのでとても電子書籍では無理‥と思い、紙で購入して我が家の積読タワーに鎮座している。

そして、Doit.imでタスク管理は今はApple 標準の「リマインダー」とスマホの「最後はいつ」という2本立てで管理中。
変わる部分あり、変わらない部分あり‥。

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