上善如水

普通に仕事をして、普通に家事をして、普通に暮らしているだけ。
特に出張や残業が多いわけでもなく、小さい子どもを抱えているわけでも、誰かの介護をしているわけでもない。
睡眠時間も長いほうだし、どちらかといえば規則正しい生活だと思う。
でも、そんな恵まれた生活でもうっすらとしたホコリがたまっていくように、疲れが身体と心にたまってくるようだ。

ぼーっとゆっくりしたいなぁと思い、以前から気になっていた保健農園ホテルフフ山梨へ。
10月半ばの平日に2泊3日してきた。一人で。

相手がどんなに親しい人でも家族であっても、わたしは「一人」じゃないと「休み」にならない。
好きな誰かと一緒に過ごすことは、それは楽しいことではあるが、「休み」ではなく、私にとっては「イベント」なのだ。

今回、私はここに「休み」に行ったのだ。

さて、何をしてきたか、自然の中でぼーっと座っていた。
どんぐりの落ちる音、鳥、虫の声など自然の中の音がたくさん聞こえてきた。
葉っぱがひらひらと落ちてくるのを、川の流れを眺めていた。

座っていて寒くなってきたら、農園の中やハイキングコースを歩いた。
そしてまた座った。
朝から夕方までそんな感じで、ときどき昼寝と読書。
朝は太陽が昇ってくるのを眺めながら、夜は月を眺めながら、バルコニーでお茶を飲んだ。
そんな3日間だった。

ここには、朝晩にヨガ、座禅その他ジャム作りなどのプログラムもあれこれ用意されていて一人でも退屈することなく過ごせるようになっている。
私は、朝の座禅には一度参加したが、その他のプログラムは一つも参加しなかった。
決まった時間に何かをするというのをできるだけしたくなかったからだ。
「せっかくのプログラムだから参加しよう」という気持ちより、予定を入れたくないという気持ちが圧倒的に強かった。

家事や仕事というのは、実際にそれをしていないときでも、頭の中で目まぐるしく、その段取りを考えていたりするのだろう。
「帰り道にあれを買って帰ろう」「あそこのお客様のあとに、ついでにもう1件別のお客様に行けるようアポを取ろう‥」というように、いつも頭の中を何かしら動かしているのだ。
(書いてて気づいたが、「ついでに」という発想がまたよくないのだろうなぁ‥)

そういう段取りがいらない場所にきて、初めて頭(理性)と身体と心が一体になって、「休む」ってこういうことなんだと思った。
自宅前の公園にもどんぐりはたくさん落ちているけれど、もちろんどんぐりが落ちてくる音なんて気づいたことはない。

それは道路の音が騒がしいからという以前に、私自身がいつも何かしら考えごとをしているからなんだと思う。
「マインドフルネス」という言葉がブームになってずいぶん経つけれど、実現するにはこのぐらいまで日々のことから離れないと私のような俗人には難しい。
後ろを振り返ってクヨクヨすることはほんどない性格だが(良くも悪くも反省と後悔ができない)、先の細かなことの心配は常にしている方だと思う。

特にここ最近は、身体の調子が自分でも今ひとつつかみきれないので、なるべく前倒しで進められるタスクはないか‥というのを始終考えていることが増えた。

こうしてぼーっとしていると、私は結局のところ、自分のことばかり考えているから疲れるんだなぁというのがよくわかった。
もちろん、仕事や家事の段取りを考えるのは、周囲のためでもあるのだが、ぐるっと回れば、自分のことを考えているのと同じなのだよね、自分がうまくやりたいだけなんだから‥。

こちらにきて、読んだ本の1冊が「老子」。
その中で「上善如水」(上善は水の如し)という言葉がここからきていることを知った。
水は多くのものに恩恵を与えながら、人の嫌がる低いところに身を置いているという、言われてみればなるほど、そうだと思う。最上の善とは確かに水のようなものかもしれない。

サラリーマンのときは、自分を低いところにおくことができなかった。
評価されないから、出世できないから…というよりも、それはチームに迷惑がかかるからだ。
私のキャリア人生は、新卒採用をすっ飛ばして、派遣社員からスタートして5年ぐらいはずっと派遣スタッフとして仕事をしていたせいか、仕事に求めるものの中に地位と名誉がすごく低い。
私が仕事に求めるのは、もちろん暮らしていけるだけのお金は必要なのだが、その次は自宅からの近さ、やったことがない職種や業界かどうか、学ぶ深みのあるものかどうかであって、どうにも昇進意欲というものが生まれてこなかった。

そんなわけで、社内政治とかほとんど気にせずベンチャーでのキャリアを過ごしてきた。

外資系の大手ITに転職して、社内政治の重要性とそのやり方を叩き込まれた。

自分がスタッフの立場なら、「低い」と侮られ、交渉に負けやすく、余分な仕事を引き受けさせられることになる。これは私だけがかぶれば済むという話ではなく、そのチーム全体の印象を弱いチームに見せてしまうことがわかった。
そもそも私が別の仕事にうつったときに、その余分な仕事はチームに残ってしまうことも当然にある。自分だけの問題ではないのだ。

マネジメントなら、自分が強く見えなければ、チームまるごとが徒労に終わるような仕事ばかりが押し付けられる。
社内政治に弱い上司などというのは、部下からみたら、一番頼りにならない。
成功してもメリットの薄い仕事をWorldWideのチーム間で押し付け合うのだ。
もちろん同僚(ときには敵?)はいろいろとゆるい日本に暮らす私よりも、ずっと交渉慣れしているわけであって、それに対抗するには常に「上から」の立場で交渉をはじめ、さらにはことあるごとに自分と自分のチームは会社に貢献しているというのをPRしていかなくてはならなかった。

そういうのも最初は抵抗があったけれど、わりとすんなり慣れてしまった。もともと適性もあったのだろう。
フリーランスとなった今ではその必要もないのに、そういうのがまだ残っている。
もう私はプレイヤーでもなく、リーダーになることもないのだから、そういうのが手放していったほうがいいだろう。
もう私の立場は、アドバイザーであり、サポーターなのだ。
私が上に抜きん出るのではなく、できるだけ下に回って、周りが上に上がるのを支援する役目。
「上善如水」いい言葉だな‥としみじみ思った。

「休みきった」とでも言う3日間だった。
休むとエネルギーが湧いてくるので休みは重要という言葉をよく聞くが、私にとっては、エネルギーを落ち着かせるという意味で、完全に休むことがときには必要なのかもしれない。

わかっているのだ。
周りが自分にプレッシャーをかけているのではなく、私が私にプレッシャーをかけてしまうのだ。

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