逗子日記:二〇二四年二月 魚上氷(うおこおりをいずる)

随分と温かい朝。
天気予報でみると、この時間は最低気温で7℃。今日の最高気温は19℃となっている。

相変わらず喉の痛みが続き、早朝は全く声が出ず、一昨日から咳も出るようになってきた。喉の不調が一週間以上続くのは随分と長い。

咳が出る間は、図書館で作業をするのはお休み。今日は自宅で作業予定。
マスクをしていても、なんとなく周囲の視線が気になるから。
beforeコロナとafterコロナで風邪のような症状に対する人々の警戒心は随分と変わったように感じる。

このところ、色々とやることが多くて座っている時間が長くなりつつあるので、JustForcusのアプリで、25分経つとPCが自動で画面がオフされる機能を使っている。画面がオフされたら立って、片付けをしたり、家事をしたりという感じで、座る・立つを交互に。
こういうのって作業にすると集中しちゃってつい忘れてしまう。
あと、集中しているつもりが気がついたら、ネットサーフィンしていたりすることもあるので、アプリを使って区切るのはそのどちらにとっても効果があって良い感じ。

今朝は、私も夫もさほど急ぎの仕事がなかったので、お天気も良いので葉山まで犬の散歩。


帰ってきたら、スマホの歩数計は13,000歩を超えていた。

夫は居間で仕事、私は仕事部屋で作業…と穏やかな温かい一日がいきなり一変。
入院中の母の病院から電話がかかってきたのだ。

母は火曜日あたりに退院と妹から聞いていて、時間の融通がきくので私が迎えに行こうか‥という話をしていたのだが、その後連絡がこないので妹のほうで対応したのかな‥と思っていた。
母は妹と同居中なので、基本病院の連絡も全て妹になっていた。

そんな状況の中、突然私あてに電話で一瞬背筋が寒くなった。
先生の話を聞くと、手術は大変うまくいき、経過も良好なのだが、手術後どうも混乱していて認知機能が落ちてきており、病院にいると急速に悪化する可能性があるため、今日にでも迎えに来てほしい…という話だった。

仕事中の妹に確認の電話をしたところ、妹は昨日のうちに病院と話していて、退院は2日後の金曜日と決まっていたそうだ。よっぽど認知機能の落ち方が激しいのか…と二人で驚愕する。
取り急ぎ私が病院に向かった。

移動中、さて母親が理事長をつとめているNPOはどうすればよいのだろうか?
会員数も600人を超えており、入院前までは毎日7時間ぐらいその仕事をしていたはずだけれど、母以外にフルタイムでコミットしているメンバーはいるのだろうか…、とつらつらと考える。
おかげで一度も本を開くこともなかった。1時間以上電車に乗っていてこんなことは初めてだ。

迎えに行ってみると、入院前より二段階ぐらい母は老け込んで見えた。
1週間も入院していないはずなのに…。
ずっと寝ていたので下半身が随分と弱っているようで、足取りがおぼつかない。
話してみると母は確かに随分と混乱している様子だけれど、話の筋道は通っている。
声がとても出にくいのと、言葉を探すのに少し時間がかかるようにはなっている。

担当医の方に色々と説明してもらって、今回の手術はそもそも地元のクリニックでは、経過観察でも良いという話だったが、脳内の動脈瘤は結構危ない状態だったようで、今回取らないで破裂していたら大変だったし、場所的にも大きさ的にも破裂の可能性は高かったことがわかった。

入院で認知が低下しているといっても、術後の長谷川スケールの検査でも24点だから、自宅に戻れば2週間後の診察の際にはおそらく良くなっているでしょうとのことだった。

退院手続きにもかなり時間がかかり、19時近くに病院を出てようやくタクシーで妹宅まで。
妹にあれこれ説明をして、とりあえずバトンタッチ。
あまり表情のなかった母も、自宅に戻って孫(私からみると姪っこ)に会うと、だいぶ表情もやわらかくなってきた。

帰りはバスで錦糸町まで出て、お腹も空いているし一杯呑んで帰るかな…と思ったけれど、錦糸町界隈から逗子に出てもう数年。
突然このあたりで、呑みに誘える友人もすっかりいなくなってしまったことを思い出し、そのまま横須賀線に乗る。
22時に自宅到着。

なんだか長い1日だった。
スマホの万歩計は2万歩超えていた。

過去の同時期

逗子日記:二〇二三年二月 魚上氷(うおこおりをいずる)

逗子日記:二〇二二年二月 魚上氷(うおこおりをいずる)

2022年の記事を見ると、今の家に引っ越したばかりで掃除分担への記載があった。
今やこの掃除分担はお風呂場をのぞくと、全て私になっている。
私が忙しくなったら、この分担をもとに戻そうと思っていたのだが、どうやって分けていたか私自身も記憶が薄れていたのだが、ブログに書いておいたおかげで思い出せた。
有り難い。

この当時はまだバレンタインデーで社内からチョコレートをもらうというのがあったのか、確か夫の会社は社内バレンタイン禁止令をわざわざ出して、その後にコロナで完全に終焉したと思っていたが、そこも記憶違いだったようだ。

今年のニュースでも義理チョコが大幅に減ったと書いてあったけれど、そもそもお小遣いに余裕がないと、男性も女性も厳しい謎の習慣だったから経済が冷え込んで先行き明るくない時代にはまぁそうなるかな‥と思う。

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