一月某日:救急車
5時すぎに目が覚めたらひどい頭痛
昨年もそうだが正月三賀日はなぜかお店が混む
その疲れかな?
昨日の朝も頭痛ひどくてそういえば鎮痛剤で乗り切ったな
でも…と、嫌なモヤッとが頭の中にいる。
なんだかいつもと違って目の奥が痛いな
年末に遊びに来てくれた友人が自身のクモ膜下出血の顛末を話してくれたことを思い出し、スマートフォンでクモ膜下出血について調べてみる、私の今の症状も結構当てはまりそう
父が脳出血で倒れたとき、あれは元旦だったな…、自分は当時高校3年だったな、そう考えると当時の父は50代だったのか‥、そんなことも頭を過ぎる
試しに立ち上がってみる、あ、これ立てないわ
夫を起こし、救急車を呼んでもらおうとするが、おそらく大袈裟だと言うだろうから、まずは救急車呼ぶべきかの「#7119(救急安心センター)」に電話してもらう、で、救急車呼びましょうという話になり救急車
6時すぎに着の身着のまま救急車に乗り込むが、頭は回っているのでお薬手帳、マイナンバーカード、財布、スマートフォンと予備のバッテリーは夫に持ってもらう
(通院歴のある人はおくすり手帳、絶対持っていったほうが良いよ…)
何度目かの救急車だけれど、意識があるときに乗っているのは今回初めてかも
小さな町の静かな住宅街にやってきた救急車
そのサイレンだけで、すべての状況がご近所に丸わかり
救急車は到着すればすぐにサイレンは消されるけども、今日はご近所さんに新鮮なネタを提供してしまったな…と、どうでも良いことばかり浮かんでくる
サイレンは消されたが、救急車ってそこからすぐに出発するわけでなく、状況確認、血圧測定(血圧190超え)、かかりつけの病院、受け入れ先の病院などを確認してから動き出すと初めて知る。
きっと寝室にいるくるみ(ミニチュアシュナウザー、7歳)は、二人揃って近くにいることに気づいて、いつもの朝と違うとパニックをおこしているのではないかと、そればかり気になる
鎌倉にある総合病院へ運ばれる
お薬手帳をもとに既往症を聞かれ、研修中と思しき若手の先生に、手帳の薬に緑内障の目薬があるため、眼圧が上がったのでは?と仮説を立てられるが、それ多分全然関係ないと必死に説得
私の緑内障は、以前のガイドラインだったら目薬刺さなくて良いレベルで、念の為の目薬で眼圧も安定している、そうじゃなくて父も脳内出血だったので、そちらを調べてほしいと説明
納得いかないようだったが、幸運(?)なことにその場の眼圧測定機が壊れていたので、先にCTにまわしてもらえ、すぐに脳幹出血だとわかる
専門医が到着し、脳幹部分の奥深い箇所で出血しているため、手術不可
このまま出血が広がらないことを待つしかなく、SCU入院、別途の背もたれは常時30度上げておき、ベッドから降りるの不可
トイレはおむつにしてくださいとのことまで説明がある
かたわらの救急専任の看護師さんに。連絡が少し遅かったら呼吸止まっていてもおかしくありませんよ、良かったですねと耳もとでささやかれ、もしかして結構まずかったのかなぁ…と呑気に考える
意識がはっきりしているのであまりピンとこない
とりあえず、病室へ入れられるなり、店のInstagramのストーリーに入院したことを告知

さらに関係者(特にお店の予約が入っている方に)InstagramのDMで連絡し、Instagramをやっていないお客様には夫が直接訪問などで知らせてもらう、これがかなり大変
会社だったら一本電話入れれば済むんだけど、飲食店だとそういうわけにもいかず
商売に関係ない友人・知人関係はFacebookで投稿して知らせる、これは便利だった
娘もあれこれ手伝ってくれて親属関係への連絡完了
こんな風に本人はいたって元気で昼食の流動食に文句を言って、看護師さんに絶対大丈夫だからと固形食を次からお願いというが、どうも嚥下に問題なしと判断されるまで駄目だ‥と言われがっくり
一月某日:下半身の話
夜中におむつを外してもらい、差し込み便器となるが、恥ずかしいとかプライドがというよりも、寝ながらトイレするってどうやって力入れたら出るの?となる
しかも絶対出せるタイミングで看護師さんを呼ばないとならないのも難しい
2回やってなんとなくタイミングわかったが、ギリギリで呼ぶべきか、少し余裕をもって呼ぶのか、本当これ悩むわ
あまりに元気で意識もはっきりしているので、車椅子に乗せるところから看護師さんをつけ、病室(個室)のトイレまで看護婦さんが車椅子を押すならトイレOKとの許可が、入院2日目に出る、ありがたい
手足の麻痺の状況や記憶、言語力などのテストをそれぞれ専門の方から受ける
手に少し麻痺が残っているが、スマホがうまく操作できないとか、文字を書くと字がやたらに大きくなったり小さくなったりするとか、折り紙がうまくできないとか今のところそのレベル
ここまでで止まるかどうか…というのもあって、様子見つつリハビリしましょうという話に
夫と娘が来院してくれた
頼んだものは夫が持ってきてくれるが、その他の必要そうなもの(基礎化粧品一式、鏡、保湿剤、ペットボトルを飲みやすくするストローなど)をはすべて娘が整えてくれた
このとき娘夫婦が差し入れてくれたUSB接続のBRUNOの加湿器は、病室に出入りする医療関係者から大変評判良く、退院まで褒められた
一月某日:医療従事者の処遇
相変わらず車椅子+看護師付き添い移動のままだが、ベッドはフラットにしてもOKになった
手のリハビリが始まる
細かいものをつまんだり、それを逆さにしたりなど、なるほど確かに利き手ではない左手のほうが早いな
夫に手帳を持ってきてもらったので、リハビリを兼ねて時間の空いているときにその日の記録を書いておく
午後からなんだか小学生低学年ぐらいのお子さんの声が聞こえてくる
ここはSCU(Stroke Care Unit(脳卒中集中治療室))なので、子供は禁止だし、近い親族しか面会はできないはずだけれど
夜になって理由判明
死期をさまようお父さんを泣きながら呼ぶ声が病棟中に響き渡る
「パパ、がんばって、がんばるからがんばって」という声が、何度も聞こえ、その後に「パパ」「パパ」「パパ」と呼ぶ声が続き、「パパが死んじゃったー」「パパがー」「パパがー」と叫び声と泣き声混在した声がフロア中にパパの死をアナウンスする
子供の悲しい声を聞くのはかなりきつい
自分も子供がいるので、子供を残して死ぬお父さんはどんなことを思って亡くなったのだろうと真っ黒な風景にとらわれる、とにかくきつい
自分は入院中だけだけれど、医療従事者というのは職種によっては相当な頻度でういうことに立ち会うのだと思うと、この人たちは週3日ぐらい休まないと、さらに四季折々に2週間ぐらい連続休暇があるべきなのでは…とそちらに気を取られる
お子さんの声が耳に残るのと、医療従事者の処遇についてあれこれ考え、ほとんど眠れず
一月某日:なんちゃってマインドフフルネス
一昨日から少しずつリハビリ室で歩くリハビリが始まる
歩けるのだがふらつくのと、意識しないと足がうまく真っ直ぐに出せない。
「これから歩くよ」と自分に声をかけて意識を集中させて歩いている感じ、マインドフルネスっぽいよな、
これってスマホしながら歩くとか、ひょっとすると喋りながら歩くというのはしばらく難しそうだ、ヒールのある靴ともお別れかしら…
前のように歩けない原因は3つ?
1.病気の後遺症
2.入院中寝てばかりの筋力低下
3.加齢
どれも少しずつ関わっていそうでどうもよくわからない
病院としては(1)の後遺症の部分を調べたいと思うのだが、ネットワーク障害じゃないから、そうきれいに切り分けられないよなぁ‥
初日と翌日の入院時は、仕事を先頭にあちこちに連絡しなくてはならず、iPhoneとiPad三昧
右手の若干な麻痺もあり、操作が面倒だが音声入力に随分と助けられた
一方でこれらの画面ばかり見ていると、本が読みたくても液晶画面を見るのが嫌でたまらない
夫に頼んで図書館から予約で回ってきた紙の本とKindle専用端末を持ってきてもらってようやく活字中毒欲求が満たされてきた
図書館の本は、「なぜ人は締切をまもれないのか」
どこかの書評で見かけて予約していた本が回ってきた
締切が守れる人になる本ではなく、そもそも締切って何なのよ、締切を設定せずにどうやってみんなにとって「いい時間」を作れるのかなど切り口が面白い
Kindleではこれまで読んだ本をあれこれ読み返している
「小石川の家」は、青木玉さん(幸田文の娘で幸田露伴の孫にあたる方)による美しい日本語で書かれたエッセイで、流石の家系で暮らしの仕方も簡素だが美しいという私の好物系である
この本はもともとハードカバーで持っていて、そちらを手放し、また読みたくなってKindle版を持っている
そう考えると随分前に読んだ時もかなり熱心に読んだが、今読み返すとこんなところに王羲之の話なんてあったっけ?と驚かされる
そういえば王羲之は美大の美術史の学びで知ったから、当時はふーんと読み飛ばしていたんだろうなと思う。
年齢のせいか、孫がいるせいか今読むと幸田露伴の立場に肩入れして読むようになったのも面白い
個室から本日午後より4人部屋へ移動といっても、相変わらずSCUにいるのは変わらず、いわゆる入院病棟へ移る予定は見えないとのこと
一月某日:母の誕生日(傘寿)
母の誕生日。今年80歳になる
幸い暮れに我が家に遊びに来たときにその話になり、すぐに誕生日プレゼントを手配しておいたので無事に届けることができた
母は現在もまだNPOの理事長として、ほぼ平日毎日短時間とはいえ、東西線で通勤しており、頭もしっかりしているが、暮れにあったときはどうにもエネルギー量みたいなものが減って見えたので、おしゃれグッズを贈っておいた
一緒に暮していた晩年の祖父が身の回りにこだわることがなくなってから、急に衰えたので、年配者ほどオシャレ大事という考えを私は持っている。
うちのお店の常連さんたちも上は90代となるが、やっぱり元気でユーモアのある人はお洒落である
自分の病状を主治医から聞いて、死ぬまでにやりたいこと(いわゆるバケットリスト)を思い浮かべたが、見事にゼロだった。
やりたいことがあれば、すぐにやる(思いつきで美大行くとか、思いつきで飲食店始めるとか)派というのもあるが、手近なことしかやりたいと思わないからだろうと思う。
海外旅行大好き…なんて人だったらこうはならないだろう
そもそも私が頭の中に作るリストは、死ぬほどやりたくないリストでそれを元にどうやりたくないことを避けるのかのタスクリストだ
さて、私が障害を抱えて困る人は、私と家族だとは思うが、障害ではなく亡くなったとすると、まず一番心配なくるみ(ミニチュアシュナウザー 7歳)は夫がいるから大丈夫。
夫もしばらくメソメソするが1ヶ月ぐらいだろう、彼には山ほどやることがあって、それどころじゃないし、もっとああしてあげれば良かったとか悔やむタイプではない
娘はありがたいことにとても良い家庭を営んでいる
問題は母だな…
母は私が子供の頃から身体が弱いのをずっと気にかけくれていたし、逆縁となればかなり落ち込むだろう、というのは想像にかたくない
ネットをサクッと検索すると、脳出血の中でも重たい脳幹出血の場合、余命は10年ぐらいと書いてあるところもあり、何やらホッとする
我が家の女性はやたらに長生き家系なのでうーん…と思っていたが、10年ぐらいなら、頑張れそうである
とはいえ、この数字は高齢者もかなり含まれているし、母のことも考慮すると15年ぐらい、私の年齢でいうと70歳ぐらいまで頑張れば良さそうだ
10年後、65歳ゴール
ストレッチゴールで70歳と仮ぎめするとだいぶスッキリする
一月某日:退院はいつなんだ?
しばらく前にMRIも取ったのだが、その後全く結果わからず、昨日も結果教えて下さいと朝の巡回でお願いしたら、「まとめて話すね」と爽やかな笑顔で白衣を翻して次の巡回に行ってしまった。
脳幹出血自体の手術はしないが、その他怪しげな血栓があれば手術して、そこから退院検討という話が救急で搬送された日に出ており、退院目安は再手術がない場合、昨日だったはず
仕方がないので担当看護師さんに、「退院予定は、当初昨日でしたが、先生お忘れでは?話し合いに家族が必要なら、夫はまだ現役で仕事していますから、そう簡単にスケジュール動かせないんですが…」と伝え、午後になって調整がつき、明日話し合いの場を午後に設けることに決まった。
夫には無理なら私だけ聞くので大丈夫と伝えたが、何とか調整して出るとのことだった
午後から再度CTを撮る
検査室のそばに、大きな絵が飾られていて海外の風景のようだ
洋風の建物とその手前に花が咲いているものだが、これが少しも良いものに観えない
かなりの号数だからそれなりに値段で、それなりの買い手がつく画家の方なのだろう
私の今の状態にこの絵は全くピンとこないけれど、然るべき場所とタイミングではすごく惹かれるのかもしれない…との考えが頭の中にやってきた
本だとそう考えることはよくあって、この本はつまらないとか駄作だと思うのではなく、今の私には興味が持てないな…と、でも数年経ってから手に取ってみたら、あのときはさっぱりわかなかったけれど、この本めちゃくちゃ面白いではないか!というのは少なくない。
少なくとも、なんでこれが人気なのかさっぱりわからないと思っていたものが、自分好みではないけれどこの本が指示されたのはわかるな…ぐらいになっていたりすることは多い
きっとこの絵もそういうものかもしれないなぁ
世の中には名作と呼ばれているけれどさっぱりわからない美術品っていっぱいあるし、マーク・ロスコなんかも今は閉館してしまった、DIC川村記念美術館のロスコルームで観たから、感動したけれど、別の作品がたくさんかかっている部屋でみたら、素通りしてもおかしくない…
DIC川村記念美術館
一月某日:主治医との面談
結論から書くと、退院は最短で明日でもいいよ、もっと長くいてもいいよ…という話で、明日の午後退院することに決めた
主治医の話しの主な内容
1.脳内出血の中でも手術のできない重要な部分にある脳幹出血のため本当に運が良かった
2.本来はSCUから一般の病棟に移り、リハビリなどの経過を見て退院となるが、現状のリハビリでも大きな麻痺などは見られず通常の生活が営めるだろうということと、本人の退院意欲も強いのでとりあえず明日以降の退院はOK
3.ただし退院後1ヶ月は外に出ない、病院など外に出なくてならない場合は必ず付き添いを、付き添いがいれば出ていいという話ではなく、基本自宅で安静、病気の前にできていたことができるかどうかを少しずつ確認していくぐらいで進める
4.持病への影響は少ないと思われるが、とりあえず退院後2週間以内に今回の入院のデータを持って、大学病院の脳神経内科の主治医のところに行くこと
ということで、明日一番で退院したいのだが、夫が朝一番ではずせない会議があるとのことで、お昼以降に退院することに決定
ということで長かったのか、短かったのかよくわからないまま入院生活終了
最後に命も失わず麻痺も残らなかったのは、本当に運が良かったようで、これで運使い果たしたなぁ…と思っています
運が良かったことを羅列(自分のための備忘録)
- クモ膜下出血を体験した友人の話と父親が脳出血で半身不随になったことを咄嗟に思い出せたので、正月明けたら病院行こうという発想にならなかった
- いつもなら頭痛薬で誤魔化そうとするところ、多分(1)のことを思い出し頭痛薬を飲まなかった
- 自分で救急車を呼ぶことを思いつけた(倒れて呼ばれてたら、アウトだったみたい)
- 搬送先の病院に受け入れられる救急のキャパがあった(あとで他のスタッフに聞いたら、私が搬送された日はその後しばらくしてキャパいっぱいで受け入れ停止になったらしい)
- 眼圧測定機が壊れていたおかげでCTにまわしてもらえた(経緯は文中に)
- 出血が広がらなかった(広がったら麻痺がもっと出ていた)
- 麻痺がかなり軽いものしか出なかった
- その他の血栓はなかった(手術しなくて退院できた)








コメント