逗子日記:二〇二三年十月 水始涸(みずはじめてかるる)

昨晩はエアコンなしで就寝。
今朝は寝室の空気も随分とひんやりしていて、隣にくるみ(ミニチュア・シュナウザー5歳)が丸くなってくっついて寝ている。
涼しさを求めて板の間で寝る季節は終わったようだ。

朝のくるみの散歩は夫が行き、逗子海岸へ出かけていった。
私はその間に昨日に引き続き、今日もお弁当を作る。
今朝の朝食は前日の残りを使って、玄米チャーハンなので、お弁当用のご飯は冷凍したものを温め直して使う。
曲げわっぱの弁当箱は、余分な水分を吸ってくれるので温め直しでもさほど味が落ちない。

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昨日、自分が何度もお昼に何を食べようか?と午前中に何度も考えていることに気がついた。
思い出す度に、「いや、今日はお弁当があるんだ」と仕事やタスクに注意を戻す。

昼食のついでに夕飯の仕込みはできないか‥とか、洗い物の手間を減らすには、冷蔵庫の残り物を減らすには‥などとその日の昼食にまつわることを何度も考えているのだと思う。
これではあまりにも非効率だと思い、今日もお弁当を作ることにした。

ようやく涼しくなったので、ミーティングの前に草刈りを15分ほどやる。
庭の手入れは毎日少しずつやるのがベストだとわかっているが、虫に刺されないように長袖・長ズボンにしたり、天気が暑すぎたり、雨が降っていたりでなかなか毎日の習慣にならない。

Before

After

11時には早くもお腹が空いてしまい、文字通り早弁。
デザートはこの時期作り置きしてあるイチジクの甘煮。
15分ほど昼寝をして、家事と仕事を再開。

久しぶりに粗挽きのコーヒーを買ったので、フレンチプレスでコーヒーを淹れる。
ペーパーフィルターで淹れる時は、自分でコーヒー豆を挽いているけれど、挽きの粗さを調整するのが面倒で、フレンチプレス用はお店で粗挽きにしてもらったものを買ってきている。

初めて買ったその店のブレンドは、ちょっと私には酸味が強い気もするが、抽出温度が高かったせいかもしれない。
牛乳を入れてカフェオレにしたら、ちょうど良い感じになった。
豆が自分の好みに合わないのか、自分の淹れ方が問題なのか、はたまたその日の体調なのか、コーヒーの味の合う合わないは、よくわからないと毎回思う。
ワインもそのあたり近いかも

1章ずつ読んでいるので、なかなか読み終わらない「「今、ここ」に意識を集中する練習」もそろそろ終わりが見えてきた。

9月後半から、毎朝X(旧Twitter)に読了本を投稿しているが、漫画も含めてとはいえ、我ながらよく毎日読了本があるものだと驚く。

それだけ内容の軽い本が多いというのと、本を読む時間をある程度意識して取っているから、読むスピードが上がっているのだとは思うけれど。

コーヒーを飲みながら、先日Amazonから届いた「静寂の技法: 最良の人生を導く「静けさ」の力」を読み始める。
Kindleでサンプルを読んでから頼んだ本。
内容がある程度深そうなので紙の書籍を購入したが正解だったようだ。
白をベースにした装丁もとても落ち着く。
こちらもゆっくり読み進めたいタイプの本。

午後から仕事の合間に晩ごはんの仕込み。

本日はポトフ、トマトとバジルを作り置きしてある塩レモンをプラスしてカルパッチョ風?のサラダに、キャベツとゆで卵・ハムの胡麻+マヨネーズベースのサラダ、それにフジッリで作るアラビアータ。
昨晩に続いてワインを開けよう。

クリーニングの引き取りついでに白ワインを1本買ってきて冷やしておく。
逗子に住むようになってから、とても面倒になったのが「買い物」という名の家事。
徒歩圏内で済むのだが、都内にいたときは外出の帰りに買い物をして帰ってくるという流れがあったのに、ここでは「買い物」のためだけに外出しなくてはならないのがとても億劫に感じる。
「ついで」がないのだ。
億劫だから、できるだけまとめて買い物をする。
すると今度は荷物が重くなり、ますます億劫になるという悪循環。

今日も終日忙しかったあらしい夫と仕事の話をしながら、晩ごはん。
今日はもっぱら聞き役で壁打ち相手となる。

学んでいる通信制の美大で、入学当初に「技術は磨くもの、センスは盗むもの」と講師の先生に言われて、一般的には「センスは磨くもの」とよく聞くので、ちょっと違和感を感じたけれど、よく考えるとそうかもな‥と腑に落ちた。

デザインに関する技術はとにかく練習で修得。センスはあらゆる分野のものを視て「盗む」。
デザインというのは美しさだけじゃなくて、わかりやすい考え方とか無駄のないオペレーション、人の気持ちを掴むストーリーとか様々なものが要素にあって、身近にある様々な事象からたくさんのことが盗めるのだ。

とはいえ、「盗む」にはそこに盗めるものがあるというセンサーみたいなものがないとダメで、そもそもそのセンサーこそ、センスなのでは‥と最近仕事をしていて思う。
こうなってくると「センス」というのは、上司から部下へ教えたりできるものではない。
このあたりの話は、一橋ビジネススクールの楠木建先生が繰り返し書かれているけれど、「スキル」は教えられるし履歴書や職務経歴書なんかにもわかりやすく書くことができるけれど、「センス」というのは個人に張り付いているので、そうわかりやすくない。

勿論、周囲を良く視て学んでセンスが磨かれていく人はいるけれど、後天的に磨かれていく人にはおそらくその時点で既にセンスがあるからややこしい。

組織としてセンスある人、ない人を見分けるには、見分けるセンスのある人がいて、そのセンスが活かせる適材適所に人を配置するのがよいのだけれど、組織というのは明示的にも暗黙的にも色んなルールがあって、そう簡単には行かないので、センスのない人をセンスの必要な場所に置かない‥ぐらいが守られるだけでも御の字なんだろうな‥

…というような話をする。
なんでもそうなんだけれど、物事を続けようとすると微調整が必要で組織なんていうのもその典型。
一度うまくできたら、それを続ければOKというようにはいかないのを面白いと捉えるか、面倒とするか…。

昨年同時期

逗子日記:二〇二二年十月 水始涸 (みずはじめてかるる)

この頃は、まだ隔週ぐらいでは行けていたJAよこすか葉山の農産物直売所。
夫が忙しくてここ最近は随分とご無沙汰。
私にとっては、ショッピングモールの10倍ぐらいウキウキする場所なのでとても残念。

三浦半島に暮らすようになって知った四角豆も今年は食べそこねた。

昨年は梅干しを買っていたけれど、今年は庭の梅を漬けたので、来年まで自家製のもので保ちそうな気がする。

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